《観劇記録》空想組曲とナカフラ

対照的な作品をふたつ並べてみた。

『ドロシーの帰還』
作/演出 ほさかよう

@赤坂RED THEATER

「クリエイターたちの物語です」と書いてあって、わたしはなんだか広告会社の社員達の話を勝手に想像して観に行ったんだけど、まさかこれが「自分たちの話」だとは思ってもいなくて、開演20分くらいはいきなりアッパー食らったカンジで「しまったぁ…」とか思って観てた訳です。
言葉に対してまったく信用ができなくなった時期があって、それでも最近、ようやく言葉に戻ってきたばかりの自分にはもう痛くていたくて。こういう芝居を喜んで見に行く層ではない自覚があったけれど、最近どうしても抽象的+ヴィジュアルの美しさ重視な芝居に飽きていた私には十分に転機になる作品でした。加えて、高校生たちに書き下ろした戯曲『アシタの国のアリス』とこの作品の奇妙なリンクにもおののいた。ことばが強くて、まっすぐに届いてきてすごいなあ。この作家さん、今まで知らなかったのですが、今後注目したいと思います。演出も、演劇でしかできないことにこだわっている気がして好感が持てました。


『ザ・マッチメーカー』
中野成樹+フランケンズ

@座高円寺

アジ舞の短いやつをのぞけば、初めてきちんと観たナカフラ。
今回は、なんと学生時代にずっと私の芝居の曲を創ってくれていたゆっきぃがピアニストとして参加していて、それでずっと前から楽しみにしていました。だって、ゆっきぃをピアニストとして起用するだけでも演出の中野さんの才覚がただものではないってわかるってもんじゃない?(笑

冗漫な無駄口はこの辺にして、

これが誤意訳なのかー、という感想です。
お洒落だなあ…。

なんだろ、
ワイルダーの戯曲っていうのは、「人間」をつぶさに観察してそのおかしさいとしさを表現しきった名作であることは疑い得ないんだけど、翻訳されて、料理されて供されるとなんだか素材だけのほうが美味しかったなぁ、みたいなことが多かったんだよね。戯曲の言葉を熱演しちゃうとちょっと気恥ずかしいし、演出でなんか外枠とか入れちゃうとそれこそ興ざめだし、難しいなっていつも思ってた。
でも、こうやって誤訳と意訳から生まれた言葉なら、まったく現代の日本で観ていても違和感がないし、それぞれの登場人物が自然に自分の友人みたいに見えてくるのね。おそらくアメリカでワイルダーの時代に観ていたのとまったく同じ面白さでこの作品を観ることができるってすごいことで、そんな仕組みを発明?した中野さんはすごい。同じようなことを考えて、やった事がある人はたくさんいると思うけど、名付けて、自分のスタイルにしたってことでやっぱり創造者としては一歩先をいっているに違いない。
役者はみんな達者だったなあ。ああいう微妙に抜けたカンジをわざとらしくなくだすっていうのはやっぱり技術で、それはやっぱり若かったり経験が少ない俳優にはなかなかできないことだ。もちろん、ピアノはとても上手に使われていてわたしも嬉しくなりました。ゆっきぃの音色って、クラシックやジャズのピアニストの人が出す音とまったく違うんだよね、ほんとうに舞台の為に、その場に置くべき音をわかっていて、柔らかく繊細に、信じられないほど澄んだ音をシーンごとに選んでくれる。天才だ〜!と学生時代から思ってたけど、さらに巧くなっていてとっっても良かったです。


二作品とも、まったく違う毛色ながら、わたしに創造上のインスピレーションを多分にくれたという意味で1〜3月のベストになりそうな予感です。ま、三月にはけっこう芝居があるので、まだわかりませんが…。こういう舞台が観られると、嬉しくってもっと自分も頑張らなきゃって思うなぁ。

Ash
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by uronna | 2011-02-25 19:02 | 劇評、書評、映画評

復活。


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