エッセイ教室 7

次の作品です。

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前に、先輩に将来の夢を聞いたことがある。何でも先生に言われた一言で自分も先生になろうとしたんだとか。その一言が自分の人生に大きな影響を与えた、とも言っていた。
自分の人生に影響を与えた先生。そう言われて私は首を傾げた。

私は保育園から今まで色々な先生に出会ってきた。
幼い頃から何かと病弱だった私を気に掛けてくれた優しい先生や、よく褒めてくれた先生、気さくで面白い先生。今お世話になっている先生だってとても親身になって下さっているし、中学の時の社会科の先生の雑談と称した話しは私の興味を引き、為になることばかりだった。
嫌いな先生は一度も担任になった事は無いし嫌味な先生には今まで関わることなく過ごしてきた私は幸運なのか、本当は嫌な先生だって居たけど忘れているだけか、それとも単に私の頭の中が幸せなのか。そこはわからないがとにかく沢山の先生に出会ってきた。
しかし、影響を与えたと言われてぱっと浮かんでくる先生が居ない。(決して薄情者なんかではないと信じている)
それに、私の人生に影響を与えた、というほど私は生きてない、と思う。人生なんてまだまだこれからだ
まあ、こんな事を言っていても話しは進まない。が、かと言って内容も思いつかない。そもそも先生って何だ。
そこから!?という突っ込みが入りそうだがそれは華麗にスルーしておく。恐れ入りますすみません。

先生について考えすぎてよくわからなくなってきた私はネットワークという文明の利器に頼ることにした。今の世の中は本当に便利になった。
【先生】その言葉を検索すると、
:学問や技術、芸能を教える人。また、自分が教えを受けている人。教員、医師、弁護士、小説家などの職業につく人に対する敬称。
と書いてあった。
先生と言われて殆どの人が教師を思い浮かべるだろう。私もそうだった。しかし先生と言われる職業の人はそれだけじゃないのだ。
つまり、自分がその人から何かを学べば、その人は自分にとっては立派な先生と呼べる…
そんなことを1人思い、にやりとする私。近く居た弟が怪訝な顔をしているのは見なかったことにしておく。
検索で出た言葉を脳内で繰り返しながらもう一度考えてみると……今の私を形成したといっても過言ではないと思われる人が、居た。


私にとっての“先生”は姉だ。
的外れかもしれないが、もうこの人しか思い浮かばない。
小さい頃…それこそ生まれた頃から一緒に居て、厳しく、たまに優しく育てられ、時には…いや、毎日のように喧嘩なんかもした。

家族と先生は違う。
そう言う人も居るかもしれない。大体、家族は血が繋がっているが先生は赤の他人だ。
家族では無償の愛が発生するが、他人では余程の善人か仏陀ではない限り、人間なのだから利益や損得無しに愛を与えたりするなどあり得ない。
しかし私は血が繋がって居ようと自分以外は他人だと思っていた人間だ。他人だろうと血が繋がっていようと関係ないのではないかと思う。

話しが脱線してしまった。

私は基本的に姉の真似っこをしていた。
姉がしていることに影響を受けて色んなことを始め、そのたびに何かしらに躓いて行き詰まる私にアドバイスしてくれる身近な先生。
そして姉が何かして怒られた時には幼いながらもあれをしたら母は怒る、と頭にインプットして上手く立ち回ったりと色んな面で一番身近な反面教師になったのも姉だった。
妹というのは上の兄姉を見て育つもの。流石に私のように、姉と同じ服がいいと駄々をこねて親を困らせ近所の方から双子?と聞かれるまでには至らないだろうが、姉や兄が居る人は小さい頃そのような経験があるのではないかと思う。


しかし、何でもそつなくこなし私の上をいく姉を見ていて劣等感を感じる時もあった。私より姉の方が優れてるんだから私なんか居なくても…なんて思ったことは何度もある。
一度、死のうなんて思ったこともあった。周りから見たら馬鹿らしいと思うかもしれないが、その時の自分は凄く真剣だった。苦しくて、憎くて、悲しくて、辛くて、虚しくて、色々な負の感情がぐるぐると渦巻きどうしたらいいのか…
いつもは悩み事なども姉に相談していた私に今更相談できる相手なんて居ない。
一度気分が落ちればまるで底など無いかのようにどんどん下降していき自分ではもう、どうしようもなかった。
心を閉ざし殻にこもり人を遠ざける。それで自分は安全だと、もう辛い思いをしなくて済むのだと、思い込んでいた。
が、現実はそんなに簡単にはいかない。自分から人を遠ざけている癖に寂しいと思う矛盾。
一応学校には行っていたものの、仮面のような笑顔を張り付けて、上辺だけ、愛想笑いを続ける毎日の繰り返し。人を愛するって何。愛されるって、何。こんな名前なんて、と自分まで否定して、私の心はどんどん荒んでいった。


そんな私を知ってか知らずかある日姉が私に玩具の望遠鏡を投げつけて「もっと周囲と自分をよく見ろ」と言ってきた。唐突に。しかも何故か少し偉そうに。

当然、は?と思ったしお姉ちゃんに何がわかるんだとも思ったが、その後に「お前がやってるのは向き合おうとしてる人からただ目を背けて逃げているだけだし。お前はお前でしょ」と言われて、確かにそうだよなあと、すとんと納得してしまったのだ。

役目は終えたと言わんばかりにまたスタスタとどこかへ行ってしまった姉には、何故いきなりそんな事を言い出したのか問うことは出来なかったし、今の今まで私も忘れていたわけだけれど。

姉は、いつまでも狭い世界に閉じこもり狭い視野でしかものを見れない、そんな私にもっと広い視野でものを見れば世界も広がると、他人を受け入れれば自然と自分も受け入れてもらえるものだと、色んな人がいるけれど自分は自分なんだと、教えてくれたのではないかと今になって思う。

考えすぎかもしれない。またただの気まぐれとか、いつもみたいに良い言葉ぽいのが思い浮かんだから取り敢えず言っとけ、みたいなものかもしれない。
でも、今はまだ少し難しいかもしれないけれど、全ての人を愛し、愛されるように、そんな素敵な名前の由来に負けない人間になりたいと、姉の言葉で思えた。

私は、最高の先生に出会えたと、思えた。

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なかなか、読み応えのある文章でした。

「先生」という言葉の一般的な意味や印象にとらわれずに
自分の書きたいことを書いた、という点がとても良いです。

さすがに文章を書きなれているだけあって、いくらでも
言葉が生まれてくるような滑らかな「思考」→「筆記」の
流れを感じました。

そういうひとにありがちな、言葉面からの「脱線」あり、
乗り突っ込みあり、
そして流れを引き戻す強引さあり、
おぬし、手練じゃな。


後半は身近な人を、「先生」だと思いお手本に出来る
あなたの素直さと、謙虚さがよく伝わってきます。
あなたがどんな人かということが、まずよくわかるというのは
素敵なエッセイであるということです。

もう一歩話を進めて、
お姉さんがどんな人かということを詳細に描写すると、
テーマのはっきりしたエッセイになります。

最後に名前のことでしめくくるのはなかなか良い考えです。
この一文が効いているのは、前に一度それが話題になっているからです。
前の部分では「人を愛するって何。愛されるって、何。こんな名前なんて」
と、さらっと書かれているので、ともすると読み飛ばしてしまう可能性があります。
それがあなたの名前であることがはっきりと明示されていると、
もっと最後の部分が引き立ちます。

おつかれさま
いつもお芝居を観に来てくれる「先生」にヨロシク。
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by uronna | 2012-01-11 22:28 | 稽古場日記

復活。


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