70年代を打ち砕く。仲田恭子演出「僕らが非情の大河を下る時」

2月20日(日)
ザ・スズナリにて。

毎年、富山県の利賀村でやっている「利賀演出家コンクール」。
昨年は仲田恭子さんという若手の女性演出家が最優秀賞をとったときいて、気になっていた。
課題戯曲はイヨネスコの「授業」だったというが、噂を聞くにつけ観てみたいという気持ちが高まっていた。たぶんこんな感じだろう、というのは想像できても、それをいい形で裏切ってもらえたらこんなに痛快なことはない。(幸い、再演があるみたいです。静岡と横浜で)

まあ、その仲田さんが、今回ク・ナウカで演出する、と聞けばいてもたってもいられない。
ほぼソルドアウトのチケットを辛くもGetして、スズナリに乗り込みました。

この戯曲は、知っている人は勿論懐かしいかもしれない清水邦夫の岸田戯曲賞受賞作品。私は、蜷川さんの演出で蟹江敬三と石橋蓮司がやった、っていう情報だけは知っているが、もちろん実際にみたことはない。
クナウカ作品のほとんどの場合挟まっている「演出ノート」あるいは「対談」といった文字情報から得た情報によると、この作品は「日本の戯曲のなかで最も美しい台詞を持つもののひとつ」だと宮城さんは言っている。この「普遍性のある」美しさを持つ戯曲が、現在上演される場合周囲にウェットなものがまとわりつくことで、普遍性を失う気がしていた、と。それを「利賀演出家コンクール」で徹底的にドライな言葉の扱い方をしていた仲田さんの演出なら、成立するじゃないか、ということで今回こんな企画になったらしい。

白いステージ、つなぎの服を着た男たち。
上手に大きな男性用便器、中央にガラス張りの棺とずれた蓋、舞台奥に二つ梯子がかけられ、役者たちが出入りできる穴につながっている。舞台上4箇所に赤い物質が仕込まれているのが観客からも丸見えで、これはいつ、どんな感じで落ちてくるのか、というのがかなり気になる。今回の設定は少年院の中の「劇中劇」ってことで、下手側の観客の頭上あたりに設えられたモニターが異質感たっぷりに役者たちとセットを4つの角度で映し出している。

このモニター、4分割になっていて、そのうち3つは現在舞台上で起きていることを遷しているが、ひとつだけ舞台上でリアルタイムに起きていることとは違う画像を映している。(完全に録画なのか、それとも前のシーンをずらして投影しているのか、ちょっとわからなかったのだけど)仲田さんは「ずらし」のプロ?らしく、今回の演出ノートを見ても、主演男優を中心にすえて美曲の世界をずらす、などと凄まじいことを言っていたので、これも時間軸のちょっとしたずれを効果的に見せようとしている一環なのかな、と思った。

彼らは少年囚で、父と、兄と、弟の役割を演じていて、ときにその役割が入れ替わったりして、狂気というものを異質なものとはまったく捉えていなくて、殴りあうはずのシーンはシャドウのあとのバドミントンというなんとも現代っぽい決闘シーンになっていて、とにかく目が離せない。ことばを解体してしまって、自分好みの味付けにしてしまった仲田演出、これが成立してしまうのはどうしてなのか。今、同時代性を感じて、この芝居を受け入れる人はいないだろう。でも、面白いと思ってしまう。たとえばあの「踊る」ところ。あれだけでこっちはゾクゾクしてしまう。
最後の台詞を語りながら、兄が観客の手を引いて舞台袖に消えていくシーンも、けっこう鳥肌モノでした。

この芝居の裏方に入ってる方のブログ発見したので紹介しておきます。なんと『授業』の花嫁役の方ですね(^^)
御贔屓ウムラウト
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by uronna | 2005-02-21 00:06 | 劇評、書評、映画評

復活。


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