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「しっぽをつかまれた欲望」


利賀演出家コンクール最終決戦。
利賀に着いてすぐ、今年の審査員の講評がまとめられた印刷物を配られる。目を通すと、なるほど、非常にレベルの高い大会で、中でも残った二作品が高い評価を得ていたことがわかる。

今年は出場は見送ったけれど、この大会への気持ちが冷めたわけではない。
利賀の地を踏むと、いつもながら色々考える。
ここはいろんな人にとっていろんな意味のある場所。多くの演劇人の魂が浮遊し、思索にふけるにはうってつけであるが、惜しむらくは来る度ごと忙しくあまりそのような時間がとれぬことだ。
ここにくると亡くなったちー姉さんのことを思い出す、とくに夏、この時期、姉さんが再びここを訪れているような気になる。そしてついこの前、コムエアーの墜落で失われた幼馴染の命への思いも喚起させられざるを得ない。ここは、私にとってもっとも生死の境に近い場所だ。富山で買ってきた花とビールを手向ける。

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感傷に浸る気はないが、自分にとっては必要な儀式をすませ、いよいよ観戦、じゃなかった、観劇。

「しっぽをつかまれた欲望」の会場はリフトシアター。去年現地を見てその命名の理由に笑い、同時に雪山フリークとしては心を動かされずにはいられなかった、廃スキー場の跡地。冗談でスタッフと、「これなら山一個まるごと使うのが正解だよね~」なんて話していたが、去年は自分達は山房での公演で、決勝に残った作品も二作とも特設野外の方だったので、期間中は足を運ぶ機会がなかった。審査員の講評を先に読んでしまったので、会場の使い方そしてラストシーンまで見事にネタバレ状態だったのだが、それでもなんとわくわくしたことか。だいたい、ピカソの戯曲自体わたしは存在を知らなかった。きっと彼の絵そのもののような、不条理だが人の心を掴まずにはおれぬパワーと過激さをもった作品なのだろう、と予測された。

実際、リフトシアターの好きな場所に座れと座布団(新聞紙をポリ袋でくるんだだけのもの、十分。)を渡され、草地に自分の場所を確保して腰を下ろせば、耳に入るは聞いたこともないような蟲々のさざめき。それだけでも恐ろしく効果的に観客を「異化」する。満天の星とはいかなかったけれど、隣にいる仲良しの女優の存在も背景のひとつとしてすでに溶け込んでいる。ともすると、前に寝そべっている鈴木(忠志)さんまで絵の一部だ。
台詞は上演中は全体としての意味を成さないが、断片としては強力な力をもって迫ってくる。ピカソの巨大な絵を見て、それぞれがその断片に自分を見出すのと同じように。ばらばらに迫ってくるそれら「食べもの」たちの蠢動が残した残像が、やがて山の頂点でひとつの焦点を結び、観客が自分がみていた世界をようやく一枚絵として捉えられたのを見計らって、絵の中に生きていた登場人物(食物?)たちは絵を抜け出してどこかに行ってしまうのだ。山の上からクラクションを鳴らしながら疾駆してきた車にとびのって。なんと鮮やかな。

そこには抜け殻になった絵だけが残され、鑑賞者たちは「それでも自分はこの絵が動き出すのを見た」という奇妙な満足感に浸る。高揚感は長い余韻と変わる。

うーん、見事。

別に新しいことをしたから見事なのではない。期待したほどの過激さもなかった。それでも、この空間の使い方と、今何をすることが誰にとっても一番面白いのかを的確に知っている強さ。その上、この演出家、天然に見せかけているが、細部にとても計算だかさを感じたのは私だけか?それが奏功して、どのようなタイプの審査員からも「非」を鳴らされないつくりになっているのには舌を巻く。文句なしの最優秀賞であった、今後の作品が本当に楽しみである。


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by uronna | 2006-09-05 10:42 | 舞台のおはなし

復活。


by kawasaki Alice