カテゴリ:劇評、書評、映画評
- 【感想つき】ふじのくにせかい演劇祭ツアー[ 2011-06-22 22:01 ]
- 《観劇記録》空想組曲とナカフラ[ 2011-02-25 19:02 ]
- 沈黙[ 2011-02-06 23:03 ]
- 《観劇記録》投げられやすい石[ 2011-01-21 23:07 ]
- 秋の一行レビュー♪[ 2010-10-11 00:42 ]
- 『怪談八雲噺』みてきましたー by: 隼&がっきー[ 2010-08-26 23:30 ]
- ピノッキオ[ 2010-08-25 09:57 ]
- 若き俳優の卵と、世界を論じる。[ 2010-06-26 23:14 ]
- ジャカルタの市場にて[ 2010-06-26 01:44 ]
- 「旅を終わらせるための遍路」[ 2010-06-19 23:50 ]
【感想つき】ふじのくにせかい演劇祭ツアー
先週末は、ソラソバ+高校生で毎年恒例の「静岡ツアー」でした。

富士川SAにて。男子ーず。

芸術劇場前にて、ドヤ顔選手権♪さて誰が勝者だ!?
世界の巨匠ピーター・ブルックの『WHY WHY』を見て、
いい具合にねじれたりほぐれたりした頭を
ジョナサンのパンダミート試食会にてすっきりさせて。
野外劇場で念願の『天守物語』♪

終演後に富姫さまを囲んでおおはしゃぎ(笑)

私の車を妙なテンションに引き込む鳥&猫コンビ。
そうこうするうちにまたHAYATOに置いていかれました…il||li(つд-。)il||li
かなりアツいツアーでしたね。
心配してた雨もさほどでもなく、今回参加できた人はラッキーだったと思います。
この感動を胸に、自分たちの制作もがんばりましょー!
今回はツアー初参加のふたりに、感想をお願いしました。
いやはや、どうして。
なかなかすごい感想文ですよ。
--------------------------------------
『WHY WHY』
難しいお話でした。
けれど、雰囲気や道具の少なさ、一人芝居…いろいろな部分で驚き、すごいと思える舞台でした。
日本語訳を見ながらで動きとどちらも集中してみることができなかったのですが、
一人芝居&外国語の舞台は初めて観て、とても圧倒されました。
『天守物語』
スピーカーさんの声の迫力。
ムーバーさんの動きの綺麗さ。
とてもかっこ好く、見入ってしまいました。
全ての動作に無駄がなくプロの役者さん、というものを目の前で感じることができ光栄でした。
今回舞台を観て、ますます普段の訓練、稽古をがんばっていきたいと思います。
(15歳、JK)
-----------------------------------------------
『WHY WHY』は
言葉こそ分からなかったけれど、
場面の切り替えを
演技で感じる事が出来て面白かったです。
キャラクター作りにおいて、
自身の動きを全て操作していたのがすごかったです。
声を発さなくても、
人格を感じ取れた時は
プロの何たるかが少し分かった気がしました。
表情は、場面の変化に伴って変わり、
キャラクターの人間性を
理解させてくれました。
演技と字幕を見るのが大変で、物語を把握出来ませんでしたが、
とにかく演技力!
言葉も聞けたらどんなに楽しかっただろうと思いましたが、
それが分からない事も含め、
とても楽しくて、勉強になりました。
引き続き『天守物語』
最初役者さんが一人で太鼓を
叩いていた時は、
リズムがずれているよう感じましたが、
人が増えて音に厚みが増すに連れ、
最初の太鼓の重要性が段々と分かってきて、
リズムがくっきりと
浮かび出てきた時は
こういう演出の方法もあるんだな、と感動しました。
演技の点で印象的だったのは、
まず何と言っても
役者に台詞がなく、
役者とはまた別に話し手がいた事です。
役者と話し手はほぼ必ず男女で一組みになっているのが
非常に印象的でした。
話し手の方の声量はとても大きく、
尚且つ声の表情を感じ取れる程繊細という
ありえない器用さに驚きました。
とてもあんな事は出来ません。
他の話し手の方との掛け合いもテンポ良く、
滑らかに美しく進めていて、
非の打ち所がない
すばらしい会話でした。
それだけでももう唖然としていたのですが、
そこに折り重なる役者さんの
動きがまた綺麗で、
とにかく魅了されっぱなしでした。
霧雨が降っても
全く動じる事がなくて、
それすらも演出なのかと
思ってしまう程綺麗で、幻想的でした。
三人いる姫の一人たりとも
舞台の上から現れず、
客席の後ろから登場する手法が、
役者さんの足取りの美しさを
更に際立たせていて、
逃げ場のない場所のはずなのに、
むしろそうした方が都合がいいかのような
堂々とした振る舞いに圧倒されました。
学ぶべきところは
数え切れませんが、
真っ先にあげるとしたら背中で語る事です。
口がないなら目と背で語れ。
気を抜かず、芯までその役に。
役者としての心意気を
学ぶべきだと思いました。
とにかくすごかったです。
言葉で言い尽くせない位すごかったです。
演劇をやる上で、
目標こそあれど
夢はまだないので、
夢を持つとするなら
見ている人を感動させられるような、
あの劇団のようになりたいと思いました。
文章をまとめて書くのが苦手なので、
ろくに表現も出来なくて申し訳ありません。
素晴らしい舞台でした。
(16歳、DK)
-----------------------------------------------------------
文才もさることながら、
ここまで全身全霊で芝居を見ることができるのはそれも一つの才能です。
この調子で感性をガンガン伸ばして欲しいです。
高校生組は、次の舞台はなんとClub CITTA' です。
6月23日(水曜日)夜、空いている人は是非是非、川崎へ、クラブチッタへおいでませなー!

富士川SAにて。男子ーず。

芸術劇場前にて、ドヤ顔選手権♪さて誰が勝者だ!?
世界の巨匠ピーター・ブルックの『WHY WHY』を見て、
いい具合にねじれたりほぐれたりした頭を
ジョナサンのパンダミート試食会にてすっきりさせて。
野外劇場で念願の『天守物語』♪

終演後に富姫さまを囲んでおおはしゃぎ(笑)

私の車を妙なテンションに引き込む鳥&猫コンビ。
そうこうするうちにまたHAYATOに置いていかれました…il||li(つд-。)il||li
かなりアツいツアーでしたね。
心配してた雨もさほどでもなく、今回参加できた人はラッキーだったと思います。
この感動を胸に、自分たちの制作もがんばりましょー!
今回はツアー初参加のふたりに、感想をお願いしました。
いやはや、どうして。
なかなかすごい感想文ですよ。
--------------------------------------
『WHY WHY』
難しいお話でした。
けれど、雰囲気や道具の少なさ、一人芝居…いろいろな部分で驚き、すごいと思える舞台でした。
日本語訳を見ながらで動きとどちらも集中してみることができなかったのですが、
一人芝居&外国語の舞台は初めて観て、とても圧倒されました。
『天守物語』
スピーカーさんの声の迫力。
ムーバーさんの動きの綺麗さ。
とてもかっこ好く、見入ってしまいました。
全ての動作に無駄がなくプロの役者さん、というものを目の前で感じることができ光栄でした。
今回舞台を観て、ますます普段の訓練、稽古をがんばっていきたいと思います。
(15歳、JK)
-----------------------------------------------
『WHY WHY』は
言葉こそ分からなかったけれど、
場面の切り替えを
演技で感じる事が出来て面白かったです。
キャラクター作りにおいて、
自身の動きを全て操作していたのがすごかったです。
声を発さなくても、
人格を感じ取れた時は
プロの何たるかが少し分かった気がしました。
表情は、場面の変化に伴って変わり、
キャラクターの人間性を
理解させてくれました。
演技と字幕を見るのが大変で、物語を把握出来ませんでしたが、
とにかく演技力!
言葉も聞けたらどんなに楽しかっただろうと思いましたが、
それが分からない事も含め、
とても楽しくて、勉強になりました。
引き続き『天守物語』
最初役者さんが一人で太鼓を
叩いていた時は、
リズムがずれているよう感じましたが、
人が増えて音に厚みが増すに連れ、
最初の太鼓の重要性が段々と分かってきて、
リズムがくっきりと
浮かび出てきた時は
こういう演出の方法もあるんだな、と感動しました。
演技の点で印象的だったのは、
まず何と言っても
役者に台詞がなく、
役者とはまた別に話し手がいた事です。
役者と話し手はほぼ必ず男女で一組みになっているのが
非常に印象的でした。
話し手の方の声量はとても大きく、
尚且つ声の表情を感じ取れる程繊細という
ありえない器用さに驚きました。
とてもあんな事は出来ません。
他の話し手の方との掛け合いもテンポ良く、
滑らかに美しく進めていて、
非の打ち所がない
すばらしい会話でした。
それだけでももう唖然としていたのですが、
そこに折り重なる役者さんの
動きがまた綺麗で、
とにかく魅了されっぱなしでした。
霧雨が降っても
全く動じる事がなくて、
それすらも演出なのかと
思ってしまう程綺麗で、幻想的でした。
三人いる姫の一人たりとも
舞台の上から現れず、
客席の後ろから登場する手法が、
役者さんの足取りの美しさを
更に際立たせていて、
逃げ場のない場所のはずなのに、
むしろそうした方が都合がいいかのような
堂々とした振る舞いに圧倒されました。
学ぶべきところは
数え切れませんが、
真っ先にあげるとしたら背中で語る事です。
口がないなら目と背で語れ。
気を抜かず、芯までその役に。
役者としての心意気を
学ぶべきだと思いました。
とにかくすごかったです。
言葉で言い尽くせない位すごかったです。
演劇をやる上で、
目標こそあれど
夢はまだないので、
夢を持つとするなら
見ている人を感動させられるような、
あの劇団のようになりたいと思いました。
文章をまとめて書くのが苦手なので、
ろくに表現も出来なくて申し訳ありません。
素晴らしい舞台でした。
(16歳、DK)
-----------------------------------------------------------
文才もさることながら、
ここまで全身全霊で芝居を見ることができるのはそれも一つの才能です。
この調子で感性をガンガン伸ばして欲しいです。
高校生組は、次の舞台はなんとClub CITTA' です。
6月23日(水曜日)夜、空いている人は是非是非、川崎へ、クラブチッタへおいでませなー!
《観劇記録》空想組曲とナカフラ
対照的な作品をふたつ並べてみた。
『ドロシーの帰還』
作/演出 ほさかよう
@赤坂RED THEATER
「クリエイターたちの物語です」と書いてあって、わたしはなんだか広告会社の社員達の話を勝手に想像して観に行ったんだけど、まさかこれが「自分たちの話」だとは思ってもいなくて、開演20分くらいはいきなりアッパー食らったカンジで「しまったぁ…」とか思って観てた訳です。
言葉に対してまったく信用ができなくなった時期があって、それでも最近、ようやく言葉に戻ってきたばかりの自分にはもう痛くていたくて。こういう芝居を喜んで見に行く層ではない自覚があったけれど、最近どうしても抽象的+ヴィジュアルの美しさ重視な芝居に飽きていた私には十分に転機になる作品でした。加えて、高校生たちに書き下ろした戯曲『アシタの国のアリス』とこの作品の奇妙なリンクにもおののいた。ことばが強くて、まっすぐに届いてきてすごいなあ。この作家さん、今まで知らなかったのですが、今後注目したいと思います。演出も、演劇でしかできないことにこだわっている気がして好感が持てました。
『ザ・マッチメーカー』
中野成樹+フランケンズ
@座高円寺
アジ舞の短いやつをのぞけば、初めてきちんと観たナカフラ。
今回は、なんと学生時代にずっと私の芝居の曲を創ってくれていたゆっきぃがピアニストとして参加していて、それでずっと前から楽しみにしていました。だって、ゆっきぃをピアニストとして起用するだけでも演出の中野さんの才覚がただものではないってわかるってもんじゃない?(笑
冗漫な無駄口はこの辺にして、
これが誤意訳なのかー、という感想です。
お洒落だなあ…。
なんだろ、
ワイルダーの戯曲っていうのは、「人間」をつぶさに観察してそのおかしさいとしさを表現しきった名作であることは疑い得ないんだけど、翻訳されて、料理されて供されるとなんだか素材だけのほうが美味しかったなぁ、みたいなことが多かったんだよね。戯曲の言葉を熱演しちゃうとちょっと気恥ずかしいし、演出でなんか外枠とか入れちゃうとそれこそ興ざめだし、難しいなっていつも思ってた。
でも、こうやって誤訳と意訳から生まれた言葉なら、まったく現代の日本で観ていても違和感がないし、それぞれの登場人物が自然に自分の友人みたいに見えてくるのね。おそらくアメリカでワイルダーの時代に観ていたのとまったく同じ面白さでこの作品を観ることができるってすごいことで、そんな仕組みを発明?した中野さんはすごい。同じようなことを考えて、やった事がある人はたくさんいると思うけど、名付けて、自分のスタイルにしたってことでやっぱり創造者としては一歩先をいっているに違いない。
役者はみんな達者だったなあ。ああいう微妙に抜けたカンジをわざとらしくなくだすっていうのはやっぱり技術で、それはやっぱり若かったり経験が少ない俳優にはなかなかできないことだ。もちろん、ピアノはとても上手に使われていてわたしも嬉しくなりました。ゆっきぃの音色って、クラシックやジャズのピアニストの人が出す音とまったく違うんだよね、ほんとうに舞台の為に、その場に置くべき音をわかっていて、柔らかく繊細に、信じられないほど澄んだ音をシーンごとに選んでくれる。天才だ〜!と学生時代から思ってたけど、さらに巧くなっていてとっっても良かったです。
二作品とも、まったく違う毛色ながら、わたしに創造上のインスピレーションを多分にくれたという意味で1〜3月のベストになりそうな予感です。ま、三月にはけっこう芝居があるので、まだわかりませんが…。こういう舞台が観られると、嬉しくってもっと自分も頑張らなきゃって思うなぁ。
Ash
『ドロシーの帰還』
作/演出 ほさかよう
@赤坂RED THEATER
「クリエイターたちの物語です」と書いてあって、わたしはなんだか広告会社の社員達の話を勝手に想像して観に行ったんだけど、まさかこれが「自分たちの話」だとは思ってもいなくて、開演20分くらいはいきなりアッパー食らったカンジで「しまったぁ…」とか思って観てた訳です。
言葉に対してまったく信用ができなくなった時期があって、それでも最近、ようやく言葉に戻ってきたばかりの自分にはもう痛くていたくて。こういう芝居を喜んで見に行く層ではない自覚があったけれど、最近どうしても抽象的+ヴィジュアルの美しさ重視な芝居に飽きていた私には十分に転機になる作品でした。加えて、高校生たちに書き下ろした戯曲『アシタの国のアリス』とこの作品の奇妙なリンクにもおののいた。ことばが強くて、まっすぐに届いてきてすごいなあ。この作家さん、今まで知らなかったのですが、今後注目したいと思います。演出も、演劇でしかできないことにこだわっている気がして好感が持てました。
『ザ・マッチメーカー』
中野成樹+フランケンズ
@座高円寺
アジ舞の短いやつをのぞけば、初めてきちんと観たナカフラ。
今回は、なんと学生時代にずっと私の芝居の曲を創ってくれていたゆっきぃがピアニストとして参加していて、それでずっと前から楽しみにしていました。だって、ゆっきぃをピアニストとして起用するだけでも演出の中野さんの才覚がただものではないってわかるってもんじゃない?(笑
冗漫な無駄口はこの辺にして、
これが誤意訳なのかー、という感想です。
お洒落だなあ…。
なんだろ、
ワイルダーの戯曲っていうのは、「人間」をつぶさに観察してそのおかしさいとしさを表現しきった名作であることは疑い得ないんだけど、翻訳されて、料理されて供されるとなんだか素材だけのほうが美味しかったなぁ、みたいなことが多かったんだよね。戯曲の言葉を熱演しちゃうとちょっと気恥ずかしいし、演出でなんか外枠とか入れちゃうとそれこそ興ざめだし、難しいなっていつも思ってた。
でも、こうやって誤訳と意訳から生まれた言葉なら、まったく現代の日本で観ていても違和感がないし、それぞれの登場人物が自然に自分の友人みたいに見えてくるのね。おそらくアメリカでワイルダーの時代に観ていたのとまったく同じ面白さでこの作品を観ることができるってすごいことで、そんな仕組みを発明?した中野さんはすごい。同じようなことを考えて、やった事がある人はたくさんいると思うけど、名付けて、自分のスタイルにしたってことでやっぱり創造者としては一歩先をいっているに違いない。
役者はみんな達者だったなあ。ああいう微妙に抜けたカンジをわざとらしくなくだすっていうのはやっぱり技術で、それはやっぱり若かったり経験が少ない俳優にはなかなかできないことだ。もちろん、ピアノはとても上手に使われていてわたしも嬉しくなりました。ゆっきぃの音色って、クラシックやジャズのピアニストの人が出す音とまったく違うんだよね、ほんとうに舞台の為に、その場に置くべき音をわかっていて、柔らかく繊細に、信じられないほど澄んだ音をシーンごとに選んでくれる。天才だ〜!と学生時代から思ってたけど、さらに巧くなっていてとっっても良かったです。
二作品とも、まったく違う毛色ながら、わたしに創造上のインスピレーションを多分にくれたという意味で1〜3月のベストになりそうな予感です。ま、三月にはけっこう芝居があるので、まだわかりませんが…。こういう舞台が観られると、嬉しくってもっと自分も頑張らなきゃって思うなぁ。
Ash
沈黙
ク・ナウカの先輩たちが作った劇団4rude公演のお手伝いしてきました。
今回はテクスタッフではなく、単なる当日受付です。
SCOTからF本さんが来て『受付がみんなク・ナウカだ…』とびびっていましたw
確かに、懐かしい顔ぶれというか、なんだか嬉しくなるような親近感。
ソラソバからも、私以外に2人手伝いに行けました。小劇場特有の濃密なネットワークとあまり縁がないわたしたちですが、こういう場はとても大切だと思います。お手伝いするだけではなく、当然舞台も拝見できるわけで、とても勉強になります。
今回は『沈黙』ということで、遠藤周作の名作をもちろん思い描いてみなさん劇場にやってくるのでしょうけれど、4rudeの常連であれば慣れっこ、そのシーンの断片もなかなか思い描けないほどのイメージ化処理。なぜか三島の演説から始まるあたりは「こう来たか」とニヤリとしてしまう。
稲川サンは、カミサマに興味があるんだろうな。
まあ、興味がない人なんていないかもしれないけれど、それを真っ向から描こうとする演劇人は日本人ではあんまりいない気がする。いままでの作品でも正面からキリスト教を扱っていて、カトリックの学校を出たくせに不信心者のわたしはいつも、うちの高校の修養会もこんな風だったらJKの私はみすみすヒュプノスの甘い誘いに身を委ねてはいなかったのに、とへんな妄想をする。
身体のキレはあいかわらず清々しく、眼前に繰り広げられる動く彫像たちの狂宴に、しばし酔いしれる。うちの若手たちも高校生たちもあのくらい身体キレてくれれば嬉しいなあ。もっと訓練しよ。

ロビートーク、3日目の様子。
和気あいあいとした雰囲気が良かったです。

私は過去の職歴(?)を活かしてBartenderを。
久々にシェイカーを振りたくなりました。そういえば昔芸大の後輩の公演でもオリジナルカクテルを作ったなあ。(げっ、もうかなり前だ^^;)
公演で臨時バーを設置したい方はお気軽にご相談ください。

打ち上げの祭りのあと。
ほんと、懐かしい顔ぶれで、私もhappyでした。みなさまおつかれさまでした!
Ash
今回はテクスタッフではなく、単なる当日受付です。
SCOTからF本さんが来て『受付がみんなク・ナウカだ…』とびびっていましたw
確かに、懐かしい顔ぶれというか、なんだか嬉しくなるような親近感。
ソラソバからも、私以外に2人手伝いに行けました。小劇場特有の濃密なネットワークとあまり縁がないわたしたちですが、こういう場はとても大切だと思います。お手伝いするだけではなく、当然舞台も拝見できるわけで、とても勉強になります。
今回は『沈黙』ということで、遠藤周作の名作をもちろん思い描いてみなさん劇場にやってくるのでしょうけれど、4rudeの常連であれば慣れっこ、そのシーンの断片もなかなか思い描けないほどのイメージ化処理。なぜか三島の演説から始まるあたりは「こう来たか」とニヤリとしてしまう。
稲川サンは、カミサマに興味があるんだろうな。
まあ、興味がない人なんていないかもしれないけれど、それを真っ向から描こうとする演劇人は日本人ではあんまりいない気がする。いままでの作品でも正面からキリスト教を扱っていて、カトリックの学校を出たくせに不信心者のわたしはいつも、うちの高校の修養会もこんな風だったらJKの私はみすみすヒュプノスの甘い誘いに身を委ねてはいなかったのに、とへんな妄想をする。
身体のキレはあいかわらず清々しく、眼前に繰り広げられる動く彫像たちの狂宴に、しばし酔いしれる。うちの若手たちも高校生たちもあのくらい身体キレてくれれば嬉しいなあ。もっと訓練しよ。

ロビートーク、3日目の様子。
和気あいあいとした雰囲気が良かったです。

私は過去の職歴(?)を活かしてBartenderを。
久々にシェイカーを振りたくなりました。そういえば昔芸大の後輩の公演でもオリジナルカクテルを作ったなあ。(げっ、もうかなり前だ^^;)
公演で臨時バーを設置したい方はお気軽にご相談ください。

打ち上げの祭りのあと。
ほんと、懐かしい顔ぶれで、私もhappyでした。みなさまおつかれさまでした!
Ash
《観劇記録》投げられやすい石
『投げられやすい石』
ハイバイ @こまばアゴラ劇場
作/演出 岩井秀人
出演 岩井秀人 松井周、内田慈、平原テツ
ハイバイ三回目♪
一回目観たときはお腹抱えて笑って、
二回目は戦略的すぎてびびって、
さて今日はどうでしょう?
この人が褒められているのは空気として「この世にあることの居心地の悪さ」を、とってもうまく表現しているからだと思っていたけれど、今回のを観てますます確信を深める。自分がいるだけで空間が歪んで、清廉なはずの空気が汚れているんじゃないかと、まあそこまでは思わないにしろちょっとくらいはそれに近いくらい自分が嫌になることは誰でもあって、人間のそういう部分に見えないようにボディブローかましてくるような、そんな舞台なのであるよ。おそらくね。
派手な舞台じゃないけど心のひだに入り込んで、しばらくどのシーンも印象から消えない。一ヶ月経っても細かいところまで覚えているだろうな。コンビニ店員の気持ち悪さなんか夢に出そうだもんな。こういう表現も確かに「演劇でしかできないこと」で、小説だとどんなにうまく隙間を残して描いても空気として受け手を圧迫することができないという意味で目の前に「人間」を観ることができる演劇に一歩譲るカンジ。
そして忘れてはいけないのは、この人のヘンてこなユーモアのセンス。
「ぷっ、おかしいんじゃない?」っていつも思いながら世界を観ているんだろうな。笑っちゃうんだけどちょっと痛いというか、スイッチが入るとおかしすぎて泣き笑いしちゃうような。人生のおかしみをこんなにいじましく舞台に乗せられるってことで、なかなか他にいないと思う。
なんかね、感情移入とか美しいものを観るとかそういうことではない舞台の見方がここにあって、それがとっても新しいから、こんなに受けているんだろうな。正直すっごい感銘をうけたわけではないのに、すごく時間がたった今でも鮮明にそれぞれの役者の声、表情、動きを覚えてるんだもんな。
面白かった。チッ(笑
ハイバイ @こまばアゴラ劇場
作/演出 岩井秀人
出演 岩井秀人 松井周、内田慈、平原テツ
ハイバイ三回目♪
一回目観たときはお腹抱えて笑って、
二回目は戦略的すぎてびびって、
さて今日はどうでしょう?
この人が褒められているのは空気として「この世にあることの居心地の悪さ」を、とってもうまく表現しているからだと思っていたけれど、今回のを観てますます確信を深める。自分がいるだけで空間が歪んで、清廉なはずの空気が汚れているんじゃないかと、まあそこまでは思わないにしろちょっとくらいはそれに近いくらい自分が嫌になることは誰でもあって、人間のそういう部分に見えないようにボディブローかましてくるような、そんな舞台なのであるよ。おそらくね。
派手な舞台じゃないけど心のひだに入り込んで、しばらくどのシーンも印象から消えない。一ヶ月経っても細かいところまで覚えているだろうな。コンビニ店員の気持ち悪さなんか夢に出そうだもんな。こういう表現も確かに「演劇でしかできないこと」で、小説だとどんなにうまく隙間を残して描いても空気として受け手を圧迫することができないという意味で目の前に「人間」を観ることができる演劇に一歩譲るカンジ。
そして忘れてはいけないのは、この人のヘンてこなユーモアのセンス。
「ぷっ、おかしいんじゃない?」っていつも思いながら世界を観ているんだろうな。笑っちゃうんだけどちょっと痛いというか、スイッチが入るとおかしすぎて泣き笑いしちゃうような。人生のおかしみをこんなにいじましく舞台に乗せられるってことで、なかなか他にいないと思う。
なんかね、感情移入とか美しいものを観るとかそういうことではない舞台の見方がここにあって、それがとっても新しいから、こんなに受けているんだろうな。正直すっごい感銘をうけたわけではないのに、すごく時間がたった今でも鮮明にそれぞれの役者の声、表情、動きを覚えてるんだもんな。
面白かった。チッ(笑
秋の一行レビュー♪
最近はどっちにしてもツイッターで拡散されるから、一行レビューにしようかな。
批評家ではないので、独断と偏見で書くなら一行くらいにしておけよってことで。(いいわけ)
『死の棘』
@桜美林大学プルヌスホール
鐘下さん演出
白を基調にした舞台装置と照明が美しい。主役二人の存在感が◎。
『旅とあいつとお姫様』
@座高円寺
テレーサ・ルドヴィコ演出
美加理さんイチオシ作品。音、俳優、空間、すべてに大満足の傑作。表現のスマートさに学ぶところ多し!
『令嬢ジュリー』
@静岡芸術劇場
F・フィスバック演出
濃密な閉塞感。感情のドラマであるはずなのだが…、一番響いたのは阿部さんの抒情的語り台詞。
『怪談八雲噺』みてきましたー by: 隼&がっきー
どうも、隼です。
先日、六本木にお世話になったク・ナウカの鈴木陽代さんのお芝居、『怪談八雲噺』を見に行きました。
中に入って、観客とステージがとても近いのに少し驚きましたが、近いからこそ迫力のあるものが見れました。
今回の舞台は、後ろにアナウンサーの方々が語りとして座っていました。
マイクを使って語りをしていたので、前でマイク無しで演技をしてる二人との差に少し違和感を覚えましたが、新鮮な感じがして面白かったです。
小泉八雲役の丸川敬之さん、小泉セツ役の鈴木陽代さんは、僕の座っている目の前で演技をしていたので、気迫がものすごい伝わってきました。
本当にとても素敵な役者さん達です。
僕もいつかあれぐらいの気迫が醸し出せるようになれたらいいですね。
後ろで語りをやっていたアナウンサーのお二方も、艶やかな声で語られていてとてもうっとりしました。
そして、第二部からは後ろで音楽を担当していたピアノの保坂修平さんと、パーカッションの秋葉正樹さんのミニライブでした。
プロの演奏を生で聴いていると自然に身体がノってしまいますね。とても感動しました。
それに甚平を着ながらの演奏だったので、そこでまたとても新鮮さを感じました。
途中から丸川敬之さんもギターで参加していまいた。
本編でも音楽に合わせてギターを弾くシーンがあって、そこのシーンの音楽も演奏していました。
演技も出来てギターも出来るなんて多才だなと思いました。
僕も色んなことが出来る多才な役者を目指そう。
今回怪談ということなので、少し怖いのかなと思っていましたが、怖いというよりもとても笑えて面白かったです。
そして小泉八雲が外国人だというのを初めて知りました。
ずっと日本人だと思っていました・・・。
こういう間違った知識もしっかりと直していかないといけないですね・・・。
今回もこの舞台を観れて色々と知識も得られました(笑)
またどんどんとたくさん舞台を観ていきたいですね。
(Hayato)

こんばんは!がっきーです!
今日は部活おわったあと大人の街、六本木まで
鈴木陽代さんのお芝居「怪談八雲噺」を見てきました~!!
わふ~!怪談大好き!いくつか前の温泉好きに続き、
実はオカルト好きなんです!
基本、マニアック(笑)
怪談話を演劇にっていうのは自分の中でなかなか新鮮でした!
映像ならいくらでも加工とかで迫力をだせるけど
演技だけとなると難しいかもって思ってたんですが、
お二人ともものすごい迫力!!
すぐ目の前で見てたのですが、口があんぐり。
むじなのお話の時の悲鳴っぽいセリフが気に入ってます。
あと今時の曲がはいってたり、ちょっと笑うようなのがはいってて
本当におもしろかったです*
私も怪談話的なのやりたいなぁ…
座敷わらしとかどや??(笑)
(Gakky)
ピノッキオ
先月わざわざ川崎までリズムのトレーニングをしにきてくれた棚ちゃんが、音楽監督を務めるOrt. d-dの夏休み舞台『ピノッキオ』を観てきた。

このシリーズ、『サーカス物語』『オズの魔法使い』と前に二作見ているが、今回は4年間の集大成という感じかな。最高の音楽と、けれんのない俳優の演技とで子供たちの心を掴んでいるのが伝わってきて、とても見応えがあった♪
子供たちの嬉しそうな顔を見ていたら、すごく幸せな気分になった。
棚ちゃんも嬉しそうで、ほんと、観られて良かった!
私も利賀から帰ってきたばかりだけど、一緒に行ったク・ナウカ女優ちゃんも田中泯さんのワークショップ帰りで山梨の奥地から帰還したところ。日焼けや爪のなかの泥、はたまたバスの本数が少ないことを自慢しあう二人を見て出演者(フクロウ)の加藤さんに「何勝負?」と突っ込まれた。
お土産に頂いた朝採り野菜はさっそく料理しましたよん。
柚こしょうをきかせた和風パスタ。野菜の甘みでペロリであります。
ごちそうちゃーん♪
(Ash)
若き俳優の卵と、世界を論じる。
今回の春の芸術祭『メデイア』は、高校生をともなっての観劇でした。
一週間後に本番を控え、それでもがんばってやってきた高校生達の目に、『メデイア』はどううつったのか。感じたことを咀嚼してきちんと言葉にすることを、この年代からやっていれば、必ず大人になったときに役に立つ、というのが私の考えなので、今回は川崎に戻ってからの合宿でもいろいろと「言葉にする」訓練をしました。
そして、ひとりの生徒には、今回の舞台を通して『世界』を語ってみろ、と無理難題をw出したのです。
しっかりと応えてくれたことを嬉しく思い、ここに掲載します。
---------------------------------------------
『王女メデイアを通して世界について考察する』
もしメデイアが結婚した相手がギリシャの男ではなくてメデイアの祖国の男性で、メデイアの周りにはたくさんの友人や家族がいたのだとしたら、メデイアは夫に裏切られた時実の息子を殺しただろうか。周りに頼れる存在や相談にのってもらえる存在がいたとして、それでメデイアのつらさは楽になっただろうか。周りにたくさんの友人や家族に囲まれていて、誰かに相談する環境も助けてもらう環境も整っていたとしても、メデイアは実際の作品と同じように王とその娘と自分の実の息子を殺してしまったのではないだろうかと考える。なぜならばメデイアは孤独だったからだ。環境的にではなく精神的に孤独だったから、実の息子をも殺すという行動に出てしまったのではないだろうか。孤独とはなんだろうか。人は必ずしも孤独なのだろうか。孤独な人間にとって世界とはなんなのだろうか。それについて考えてみたい。
「孤独」という言葉を辞書でひくと「頼りになる人や心の通じあう人がなく、ひとりぼっちでさびしいこと(さま)」とある。つまり逆に考えると、頼りになる人や心の通じあう人がいれば孤独ではないということになる。本当にそうだろうか。たくさん友人がいてなんでも話せる存在がたくさんいれば孤独ではないといえるのだろうか。私はそういう人こそむしろ孤独だと感じるのではないかと思う。誰かに自分の考えを話した時に本当に理解してもらえていないと感じた経験はないだろうか。自分の考えや悩みを本当に理解してもらうことは難しい。なぜなら、実際に考えや悩みを抱いているのは自分であって、それは話を聞いてくれた他人ではないからだ。自分の中にあるものは結局のところ自分しか理解することができない。だからこそ、自分の心の中にあるものをたくさんの人に話すと、その分理解してもらえていないという違和感に悩まされることになる。
人間は結局のところ孤独な生き物である。人は他人の考えていることを百パーセント理解することはできない。そして自分の考えていることを百パーセント理解してもらうこともできない。何事も最終的に判断するのは自分であり、実際に物事を考えたり悩んだりするのも自分である。自分であるということは変えられない。よく病気などでつらいときに「変わってあげられたらいいのに」というがつらさを変わってあげることはできないし、変わってもらうこともできない。どんなにつらいときでも嬉しい時でもそれを他人と百パーセント分かち合うことはできない。他人を理解しきれていない、理解されきれていない、そういうもどかしさに人は悩み続ける。
「王女メデイア」においてもメデイアは孤独だった。それは一人異国の地にいて、夫に裏切られ、誰も助けてくれる人がいなかったからではない。自分のつらさは自分しか理解できず、同時にメデイアは自分のことしか見えていなかったからである。
孤独な人間にとって、世界とは個々の集合体である。孤独な人間たちが集まって構成されているもの、それが世界である。それぞれの人間は交流し話し合い、お互いに重なることはあっても交わることはない。人は他人にはなれないのだ。孤独とは周りに頼れる人がいない環境のことではなく、誰にもわかってもらえない部分がある、誰しもが持っている要素なのである。
ジャカルタの市場にて

ユディたち、テアトル・ガラシと静岡で再会。
彼らと幸福なめぐり合いをさせてくれた運命に感謝したくなる。
(4年前、ザ・スズナリでの『ムネモシュネの贈り物』)
インドネシアの首都ジャカルタは、東京よりも人口の多い街。
喧騒と埃と嬌声の渦巻く、この異国の都市で、わたしもかつて何度迷子になったか(笑)。
あいかわらずの混沌ぶりに、かわっていないのね、とふと思ってしまう。ここでみているのは演劇なのに。
個人的な感銘で言うと、テオの身体がすごいことになっていた。ほんとうにすごいことになっていた。かつてもすごかったけれど、今はもう人間の身体じゃないよ、といいたくなるほどの。
静岡市に住んでいる雪山仲間のみっちゃんを誘ってぶらりと。ふだん芝居を見ない、という彼女も楽しそうにみていってくれた。(余談だけどこうやって、Snowboardersが劇場に足を運んでくれると、嬉しい。)
演劇初心者にもやさしいけど、アート性は失わないユディの作品を見ていると、私のめざしているものも間違いではないな、と思えるので嬉しい。これだけゆるくて、賑やかで、楽しくて、その中に批評性を確保するのは難しいことだ。
みっちゃん、グランシップは知ってたけど、芸術劇場の方は知らなかったとか。
県民のための劇場だからこれからはガンガン遊びに行ってね(笑)。

ちなみに、一番自由だったブラジル人たち(エンリケ・ディアスのカンパニーの人々)。
『南十字☆路』ごしに彼らの自由さを見ているのもまた楽し…。
「旅を終わらせるための遍路」
静岡春の芸術祭、絶賛開催中である。
今週末の演目はみっつ。
『頼むから静かに死んでくれ』@静岡芸術劇場
『王女メデイア』@野外劇場
『アルルカン 天狗に出会う』 @楕円堂
『メデイア』について私は語る言葉を持たないので、今回はいかにも語りがいのありそうなこれ『頼むから静かに死んでくれ』についてひとこと書いておくことにする。『アルルカン』はアルレッキーノーに勝手に縁を感じている私にとっては見逃せない作品であったこともつけくわえておく。
☆☆☆
「自分探しの旅」を終わらせる物語を見た。
私たち1975年~1985年に生まれた世代にはいつの間にか『ロストジェネレーション』などという奇妙な名前のラベルがついた。日本がもっとも豊かな時代に生まれ、バブルで周囲の大人たちが浮かれ騒いでいるのを見ていた。父親たちは企業に一生を捧げ、女性達が学歴を高くしてさかんに男女同権を主張した時代。自分達もきっと大人になればそんな暮らしをするだろうと思いながら楽観的な学生時代を送ったあと、「空前の就職氷河期」によって社会から手堅く拒絶された、理想の華やかさと現実の冷たさのギャップがもっとも大きかった世代。その氷河を耐える装備がなされぬまま裸で放り出されて、彼らの夢想の逃げ場は海の向こうか、生まれ育った家の自分の部屋かのどちらかしかなかった。前者は帰着点のない旅をしながら「失われた理想の自分像=ほんとうの自分」を探しもとめ、後者はちょうどいいタイミングで発達してきたコンピュータネットワークを利用して仮想世界に自分の居場所を築いた。
この『頼むから静かに死んでくれ』はつまりそういう世代の物語なのではないかと私は思った。真面目に働きさえすれば小金もたまりそれなりの人間になって一国一城の主として家庭に君臨できる、という生き方に疑問を覚えてこなかった父親に対して、息子は反論をする言葉を持たない。そこには絶対的な価値観の相違があり、そんな父親の訃報をセックスの最中に聞いた息子の耳に父の死を告げる言葉はどこか知らない国の言葉のように響く。父親の死体と対面しても、実感がわかないどころか、それは彼に話しかけてくる。彼自身の危機になると必ず登場するシュバリエは、呼ぶと出てくるが消えてほしいからといって消えてくれるわけではない。そして、自分が主演する人生映画をとっている謎の人々の存在は、この息子が普段から自意識が高く常に誰かと比べられている、消費されている感覚を持っていることを示しているだろう。或いは、こんな風にも見えはしまいか。彼は家に引きこもり、自分が主役の「物語」を紡ぎ出す。その中では常に彼は人の注目を浴びていて、いずれ自らが尊い出自であったということを知る、というような貴種流離譚を思い描く。その中で彼は、喋る死体の父親と、シュバリエと、自らの映画を抜け出すためのたった一つの方法を探しに出かける。
そこで舞台は大きく転換する。
舞台の中ほどを隔てていた大きな壁が役者の手によって倒され、それらはおぼろに発光する台となる。
黄泉の国が突然眼前に表出したような錯覚を覚えるが、それはどうやら「父親の故郷」のようだ。
徐々に腐臭を発していく死体を担いで父親の故郷にたどりついた青年は、そこで父親の埋葬を拒否される。打ち捨てられた人々との邂逅を経て、彼は死体を海に流し、彼の分身のような騎士と別れることを選択する。裸にされ、洗い清められた父親はもはや彼だけの父親ではなく、その世代の誰の父でもあるかのようだ「行き場のない名前の束を抱える女」は、死体に父親役をしてもらい、傷を癒す。青年は、「君は、僕だ」と彼女に言い、父親の死体の横で長い長いキスを交わす。
ラストシーン「獰猛な魚達に食われたくない」「スクリューに巻き込まれるのは嫌だ」と声を上げる死体に「名前の束」を錨代わりにくくりつけ、彼ら自身が波を模した大きな敷布をかけ、最初のシーンからずっと使われてきた「ペンキ」でその存在をオブジェ化し、高らかに笑うシーンには息を飲む迫力がある。無言で客席のほうを向き歩いてくる彼らが背負っている言葉がタイトルの「頼むから静かに死んでくれ」なのだろう。騎士に向けたものか、父親か、あるいは、自らが勝手に生み出した呪縛のような「ロストジェネレーション」の幻影にか。
☆☆☆
非常に面白い芝居であったが、いかんせん長い。
160分って、ヲイ。
転換後の放浪を多少削ればもう少しダレずにすむのではないかと思ったが、この冗長さが必要なのが「遍歴もの」とも言えるのだから仕方ないか。『ペール・ギュント』と比較すると現代社会に生きる人間達を悩ませる「自我」の問題が見えてきて面白いが、今回の作品の方があらゆる意味で破壊的でかつターゲットが狭いということは疑い得まい。万人受けはしないと思うが、つまりそういう世代にとっては「ど真ん中」の直球に心の臓を抉られるような衝撃を与える作品である。
今週末の演目はみっつ。
『頼むから静かに死んでくれ』@静岡芸術劇場
『王女メデイア』@野外劇場
『アルルカン 天狗に出会う』 @楕円堂
『メデイア』について私は語る言葉を持たないので、今回はいかにも語りがいのありそうなこれ『頼むから静かに死んでくれ』についてひとこと書いておくことにする。『アルルカン』はアルレッキーノーに勝手に縁を感じている私にとっては見逃せない作品であったこともつけくわえておく。
☆☆☆
「自分探しの旅」を終わらせる物語を見た。
私たち1975年~1985年に生まれた世代にはいつの間にか『ロストジェネレーション』などという奇妙な名前のラベルがついた。日本がもっとも豊かな時代に生まれ、バブルで周囲の大人たちが浮かれ騒いでいるのを見ていた。父親たちは企業に一生を捧げ、女性達が学歴を高くしてさかんに男女同権を主張した時代。自分達もきっと大人になればそんな暮らしをするだろうと思いながら楽観的な学生時代を送ったあと、「空前の就職氷河期」によって社会から手堅く拒絶された、理想の華やかさと現実の冷たさのギャップがもっとも大きかった世代。その氷河を耐える装備がなされぬまま裸で放り出されて、彼らの夢想の逃げ場は海の向こうか、生まれ育った家の自分の部屋かのどちらかしかなかった。前者は帰着点のない旅をしながら「失われた理想の自分像=ほんとうの自分」を探しもとめ、後者はちょうどいいタイミングで発達してきたコンピュータネットワークを利用して仮想世界に自分の居場所を築いた。
この『頼むから静かに死んでくれ』はつまりそういう世代の物語なのではないかと私は思った。真面目に働きさえすれば小金もたまりそれなりの人間になって一国一城の主として家庭に君臨できる、という生き方に疑問を覚えてこなかった父親に対して、息子は反論をする言葉を持たない。そこには絶対的な価値観の相違があり、そんな父親の訃報をセックスの最中に聞いた息子の耳に父の死を告げる言葉はどこか知らない国の言葉のように響く。父親の死体と対面しても、実感がわかないどころか、それは彼に話しかけてくる。彼自身の危機になると必ず登場するシュバリエは、呼ぶと出てくるが消えてほしいからといって消えてくれるわけではない。そして、自分が主演する人生映画をとっている謎の人々の存在は、この息子が普段から自意識が高く常に誰かと比べられている、消費されている感覚を持っていることを示しているだろう。或いは、こんな風にも見えはしまいか。彼は家に引きこもり、自分が主役の「物語」を紡ぎ出す。その中では常に彼は人の注目を浴びていて、いずれ自らが尊い出自であったということを知る、というような貴種流離譚を思い描く。その中で彼は、喋る死体の父親と、シュバリエと、自らの映画を抜け出すためのたった一つの方法を探しに出かける。
そこで舞台は大きく転換する。
舞台の中ほどを隔てていた大きな壁が役者の手によって倒され、それらはおぼろに発光する台となる。
黄泉の国が突然眼前に表出したような錯覚を覚えるが、それはどうやら「父親の故郷」のようだ。
徐々に腐臭を発していく死体を担いで父親の故郷にたどりついた青年は、そこで父親の埋葬を拒否される。打ち捨てられた人々との邂逅を経て、彼は死体を海に流し、彼の分身のような騎士と別れることを選択する。裸にされ、洗い清められた父親はもはや彼だけの父親ではなく、その世代の誰の父でもあるかのようだ「行き場のない名前の束を抱える女」は、死体に父親役をしてもらい、傷を癒す。青年は、「君は、僕だ」と彼女に言い、父親の死体の横で長い長いキスを交わす。
ラストシーン「獰猛な魚達に食われたくない」「スクリューに巻き込まれるのは嫌だ」と声を上げる死体に「名前の束」を錨代わりにくくりつけ、彼ら自身が波を模した大きな敷布をかけ、最初のシーンからずっと使われてきた「ペンキ」でその存在をオブジェ化し、高らかに笑うシーンには息を飲む迫力がある。無言で客席のほうを向き歩いてくる彼らが背負っている言葉がタイトルの「頼むから静かに死んでくれ」なのだろう。騎士に向けたものか、父親か、あるいは、自らが勝手に生み出した呪縛のような「ロストジェネレーション」の幻影にか。
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非常に面白い芝居であったが、いかんせん長い。
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転換後の放浪を多少削ればもう少しダレずにすむのではないかと思ったが、この冗長さが必要なのが「遍歴もの」とも言えるのだから仕方ないか。『ペール・ギュント』と比較すると現代社会に生きる人間達を悩ませる「自我」の問題が見えてきて面白いが、今回の作品の方があらゆる意味で破壊的でかつターゲットが狭いということは疑い得まい。万人受けはしないと思うが、つまりそういう世代にとっては「ど真ん中」の直球に心の臓を抉られるような衝撃を与える作品である。
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演劇はあらゆるアートのなかで最も遅い、でも強いんじゃないかなと思っている芸大出身の演出家Ashと、愉快な俳優/アーティストたちの奮闘の記録…かもしれない。稽古中は稽古場日誌になるよ。
by uronna
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ウロンナフォークスの公演は終了しました。次回公演はタイムカプセルを掘り出す頃かもしれません。(胡乱だなあ)
ク・ナウカの役者陣によるムネモシュネーブログも是非観てくださいね。
東南アジア青年の船関連の話は続・SSEAYPにて公開中!こちらにも遊びにきてね。
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