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演出家の悩みは演出家にしかわからない

8月30日(月)

今日もミスドで朝食を採って、森下に向かう。
大江戸線で役者の一人と一緒になる。彼は「やべっ」て顔をしていた。演出家と同じ時間の出勤なんて、重役出勤だいわんばかりに。確かに、自主的にアップをしてもらうことになっているので、私はアップが終わった頃を見計らって登場させてもらっている。そんな偉い存在ではないのだけど、、、。電車が駅についたら走り出す彼につられて私も走り、稽古場に着いた時にはアップが終了した気分だった。

さて今日はプロデューサーの、稽古介入が問題になった。
私としては役者とプロデューサーの板ばさみになることは、もともと覚悟の上だが、中庸を決め込むと主体性のない演出家と見られてしまう。
聞くところは聞いて、譲れないところは譲らない、毅然とした態度が本当に必要である。

役者の愚痴をきいていたら、なんとなくフラストレーションがたまり、今日は演出家ミーティング。といっても、たまたま路線が一緒の「停電」の演出家と一緒に帰る途中にご飯を食べただけなのだが。「停電」チームは主演女優がこの時期になって降りるという問題を抱えていて、演出家は疲労困憊していた。それぞれのチームにそれぞれの悩みがある。逆境をこそ如何に好機に変えていくか、そこが勝負になるのではないか。彼は強い。やってくれると思う。

ビール片手に、役者にはいえない愚痴などをこぼしあい、思いっきり「感情開放」をした演出家たちであった。
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by uronna | 2004-08-31 01:28 | 舞台のおはなし

TPT「シカゴの性倒錯」「カモの変奏曲」を観る

8月29日(日)

今日は稽古OFF。
なので、昨日観たTPTの芝居についての劇評を書こうと思う。
「シカゴ・・」の方は7月にWSで使った本ということもあり、かなり楽しみにしていた。同い年の演出家アリ・エデルソンがどんな風にあの本を料理したのか。
「カモ・・」は木内宏昌さん演出。彼は今「斑女」の演出にアドバイザーとして入っている人だ。いずれにしても少々難解なデビット・マメットの世界をTPTが如何様に表現するのか、注目度は高い。

始めは「カモ」だった。
これは男優による二人芝居。松本きょうじさんと山本亨さん。
カモの一生を主軸に語られる、人間の生き様、文明社会の理不尽さと生き死にというテーマ。ゴールドベルグ変奏曲に併せて、言葉が変奏曲のように紡がれていく。
この男たちは何者なのか、イースター近くのアメリカの湖畔の都市で、なぜカモの一生についてこんなに語るのか。そこでは、アメリカ社会に生きる人間が共有している「社会の膿」のような問題がある。人間によって解決することがもはや不可能になったそれらの問題を、カモの話をしながら午后を過ごす男たちに語らせることで、救済のなさ、結局は逃れられない「生きとし生けるものが迎える死」への行進曲を観客に聞かせている。それは言ってみれば「ゴドーを待ちながら」と同じ構図を持っている。片方の男は煙草を幾度となく口に運ぶが、ライターがない。もう一方の男の煙草は尽き、仕方なくライターを空しく片手に弄ぶ。友人である二人は最後に顔を見合わせ、片方はついに相手がくわえた煙草に火をつけようとしてやるが、そのオイルは既に切れており結局煙草には火がつかない。所詮は人生はそのようなものなのだ、と「死にかけている社会」のすれ違う様を、マメットはうまく書いている。

 演出はごくスタンダードなものであった。作家の言いたかったことを観客に伝えられたかどうかといえば、それは「否」だろう。ほとんどの観客は変奏曲仕立てのこの戯曲の問いに、戸惑いながら50分を過ごしていたように思える。観客の側にも、共有される社会への問題意識がなければこの舞台は成り立ちにくい。もう少し突っ込んで、「日本人」にマメットの世界を見せる努力をして欲しいところだ。

さて、「シカゴの性倒錯」だ。
こちらは、同じセットを使っているにもかかわらず動きのある、スタイリッシュな演出であった。男優は「カモ」と同じ。女優二人が新たに登場するが、レズの女教師ジョウン役に小山萌子さん、劇中で山本亨さん演じるダニーと恋に落ちるデボラ役に真中瞳さん。ダニーのセックス師匠、猥談大好きのバーニー役に松本さんである。
アリは、脚本に忠実な演出家である。私の持っている本と台詞が異なっている箇所がいくつかあるのは、アリが帰国してから役者が変えたのだろう。解りやすくする為に。そのお陰かどうか。大分理解しやすい内容になってはいた。

テンポもいいし、役者の表現も面白い。観客は「カモ」の時よりも遥かに楽しんでいた。まあ、それは仕方がないだろう、扱っているテーマは「死んでいる社会」という同じものであっても、カモは「自然と人間の関係を中心に据えた不可能性」から、シカゴは「男女の関係を中心にした不可能性」からえぐり出そうとしているのだから、それはどうしても後者の方が軽妙で滑稽なものになる。

マメットが「言葉の戦士」という異名をとっていたのを、肌で知ることができるアリの演出の方が、遥かにマメットの世界を描き出すのに有利だったということも忘れてはいけない。役者の演技は楽日前日ということもあり、パワーも精度も申し分のないものだった。真中さんも、雑な動きが多いことを除けば、単なる「客よせ」以上の演技はしていた。アリは駄目だしをしない演出家なのだが、それが効を奏したのかもしれない。

 TPTの挑戦は続くのだろう。今回は総合的に「出し切れていない感」が強かったが、アメリカ社会の倦怠感を持ち込んで、やがてやってくる問題意識として多少なりとも日本の観客に印象づけた功績は決して小さくない。
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by uronna | 2004-08-30 00:37 | 劇評、書評、映画評

女優Aの場合

8月28日(土)

自分も色々反省しきりだったここ一週間の稽古。
今日は、絶対に役者に徒労感を与えるような稽古をしてはいけない。前日図らずも、帰ってすぐにソファになだれ込んだまま寝てしまったので、いつもに比べてだいぶ頭の中もすっきりしている。起きるとすぐにシャワーを浴びて、取るもの取らずに森下に向かう。途中のミスドで戦略を練る。曲を聴きながら振付けも考えてノートに書き付ける。

結局稽古場に着いたのはいつもと同じ時間だったが、稽古開始からはプロローグのダンスシーンの振付けを休みなく行う。出来るようになるまで何度も繰り返し、全員の振りが揃ったところでようやく休憩。時計は2時になろうとしていた。

15分の休憩後、今度は一場の稽古。ユニゾンで話すところが合わないので何度も繰り返す。ぴったり合うようになるまでOKは出さない。これは、頭で考える演技ではないのである。一緒に舞台に乗っている他の役者の息づかいをよく聞いて、感覚を研ぎすましていなければできないのだ。それには徹底した集中力が必要だし、そのためにはだれる暇を役者に与えてはいけない。
揃うまでやっていたら、稽古終了の4時になってしまった。
それでも、役者のフィードバックは「今日は稽古が進んだ!すごいいい感じだった!」というものが多かった。私も、終わったときいつもよりもずっと充実感を感じていた。

ここで、殻を破ったと思う程私はうぬぼれてはいない。
一つの課題をクリアしたと思ったら、また次の問題が起きてくる。まるで才能のないプログラマがコーディングしたRPGのような世界なのだ、演劇の現場というところは。
熟練した役者にいわれたことだが、「Ashleycat, 役者も演出家もそうだけど、やればやるほど、『確実なこと』は減ってくるんだよ。」
その意味を考えながら、兜の緒を締めなきゃと思うAshleycatである。

皆の体力を考えて日曜日を休みにしたので、今日は飲み会にすればという声もあがっていた。私は是非そうするように皆に伝え、私自身はTPTでまだ見ていなかったアリの「シカゴの性倒錯」の観劇に向かった。
女優の一人が仕切ってくれて、てっきり皆は飲んでいるものだと思っていた。

観劇後に、会場となっていた中華飯店に「まだみんないるのかな。」と覗きにいってみると、幹事の女優と、もう一人の男優が苦笑いをしながら座っていた。どうやら俳優たち、女優たちのほとんどは自主稽古に熱が入り過ぎて、飲み会に集まらなかったのだそうだ。幹事役の女優Aは怒髪天を衝く勢いで怒っている。確かに、裏切られた感はあったのかもしれないが、私としては皆の熱意に感心し、ちょっと嬉しかった。女優Aを宥めながらビールを一杯もらい、ちょっとお腹が満たされたところで店を出る。

葵チームが近くで飲んでいるから、行くと行って聞かない彼女はもうすでに目が据わっていて、このままそこに行かせてはどんなことになるかちょっと心配だったので私も行くことに。(まあ、実際少し飲み足りなかったし)
しかし、そこで女優Aは感情を爆発させてしまった。

葵チームには、「卒塔婆チームめ、うまくいっていないな。ふふふ」という印象を覿面に与えてしまっただろうな。それならそれでいい。事実は違うのだから。そう思われていたって何の不都合もない。
彼女を宥めつつ、新宿まで送る。葵の演出家には、「Ashleycat 甘いね。あたしだったら放っておくよ。」といわれてしまった。正直言えば、葵チームに迷惑をかけない為にも放置プレイはできなかっただけなのだが。

しかしそれだけでもない。
このひとは、人間としてとても「いい子」だ。私は彼女に色々助けられたと思う。
でも、彼女が制作っぽいことを沢山してくれているから、私が彼女をキャスティングで贔屓するなんてことはありえない。私はあなたの、演技を見たいんだ。女優としての。
誰の場合でも泣き言は一度だけは聞こうと思う。自分だって役者をやっていた時には同じような悩みを持っていたから。でも、二度目はないよ。皆成長しようとしているんだ。本気で女優になりたいなら、どうか甘えた考え方は捨てて稽古場で真剣勝負をして欲しい。
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by uronna | 2004-08-29 23:25 | 舞台のおはなし

停滞前線を突き抜けたい

8月27日(金)

今日は、朝からライティング関係(あ、照明じゃなくてwritingね。私の場合。。。)で人に会うことになっていたために、どうしても稽古を遅刻せねばならず、年長の役者で演出経験もある方に稽古を一存していた。

稽古場入りは2時半。
役者たちは12時半から稽古を始めているから、2時間の遅刻である。
演出家であろうと誰であろうと、稽古場に遅れて入るのは気後れするもの。わざと裏口にまわって着替えてから登場する。演出家は自分の登場シーンもセルフプロデュースなのさ。(なんだそりゃ)

公園から鹿鳴館のシーンに移り変わるところ。
本来はワルツを踊りながら人々が登場し、80年前の小町と深草がクローズアップされてくるシーンだが、ここはディスコ(クラブじゃなくて)「Rock may or can?」ということで、ひたすら俗悪な踊りを踊ってもらうことになっている。(ネーミングもいかにも「まあ、俗悪だわ」と小町に言われそうだが。)私がついたころには、いい具合に形になっていた。しかしそれに私が注文を加えはじめると、いつものディスカッションが始まってしまい、今日は結局それだけになってしまう。

稽古場ではあまり発言しない役者が稽古後に対話を求めてきた。
稽古場の閉塞感について。
なぜすぐにディスカッションになってしまうのか。
何か疑問が生じたら、やってみれば良いのではないのか?そうすれば空気が動いて、また新たな演出プランが生まれるかもしれないではないか。

それには、私は大いに賛成、
だがそれにも、反対意見が出る。「何を目的に動けば良いのか、悩んでとまっているのに、むりに動けと言われてもできない」

誰かがああ言うと、こう言う。
こう言うと、ああ言う。
本当に、ディスカッションの好きなグループだ。
これは悪いことではないと思う。だが、短期間で芝居を作り上げなければいけない時には、テンポの良い稽古が何より必要なのではないか。私は基本的なそのスタンスを忘れ、役者と解釈や目的意識を共有することばかり考えていたのではないだろうか。

舞台の上で役者同士が、火花を散らす様をみたい。

それは、繰り返し稽古をすることによって得られるもので、舞台を降りての話し合いからは得られない。
稽古場の問題は、稽古場で。舞台の問題は、舞台の上でしか解決できない、という基本原則を私は忘れていたのかもしれない。

色々なやり方があるが、明日は徹底的に一つのシーンを繰り返し、繰り返しやってみようと思う。それによって生まれる化学反応を、私は学会に発表する研究者のつもりで記録し、気流を起こさせ、停滞している空気を破ろう。

役者だけじゃない。私自身も殻を破らなければいけない。
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by uronna | 2004-08-27 20:04 | 舞台のおはなし

動けなくなった役者を動かすには

8月26日(木)

しばらく更新できなかったのは、毎日疲労困憊して帰ってくると倒れるように寝てしまっていたからだ。
稽古は順調に進んでいるが、配役を発表してからはどうしようもないことだが雰囲気が変わる。プロの世界でも、この配役発表の際は結構緊張が走るという。キャスティングが気に入らなくて大物俳優が「降りる」なんて言うこともざらにある。

もちろん完全にプロではないWSというカタチの、今回の公演では、「俺やめる」「あたしやめる」があっても文句などいえない。とはいえ、大分雰囲気のいいこのチームが、今後どうなるか、提示する方としてはやはりヒヤヒヤしてしまう。
(でも出す時はポーカーフェイス。)

意外にも、誰一人辞めると言わずに稽古をすすめられている。
それはもちろん、配役が優れていたからとか、稽古がいいからとかでないのはわかっている。だが、下地作りに時間をかけた努力が多少、このあたりで実っているのかもしれないと、思う。

だが新たなる問題が起きる。
主役の「詩人」役の男優。
これがまったくもって、「頭で考えてきた」ガチガチに固められた演技をするのだ。
考えるな!といっても考える。
愛する嫁さんのことを考えろ!というと、ちょっと自然になるが、また元に戻る。
コチラの質問に、いちいち考え込んでしまい、シンプルな答えにいきつかない。

メインの詩人をやりたがっていた男優は他に7人もいるんだぞ。
殻をやぶらなきゃ、君は降板だ。

だがそこまで無慈悲な台詞は私の口からはでてこない。
それを待っている役者たちがいるのを知った上で、敢えてそのまま続投、もちろん手を替え品を替えて、彼の演技を引き出そうとする。
「俺ならもっとうまくできるのに」
とほとんどの男優が思っていることだろう。

それは、彼らがもともと今やっている役者よりうまかったのではなく、動けなくなっている役者を客観的に見ているからだ。
悔しい思いをしながら、そいつの悪い癖なんかをみつけ、隙あらば出し抜いてやるために観察しているからだ。
それはちょっと意地悪いかもしれないが、実はとても勉強になる。

詩人よ、君も悔しかったら彼らに出し抜かれないように壁を乗り越えてくれ。
私もその壁にかけた縄梯子に必死で結び目を作っているのだから。
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by uronna | 2004-08-27 00:22 | 舞台のおはなし

クナウカ若手演出家シリーズ「卒塔婆小町」「弱法師」を観る。

8月22日(日)

今日は稽古OFF。
Upの時の友達が、東京に来ていたので一泊していった。都心部から遠い私の家にわざわざ泊まりにきてくれるなんて、なんか申し訳ない気分だが、あねご肌の彼女は夜中私の話をお酒を飲みながら「うんうん」と聞いて、楽しんでいってくれた。彼女も夢を追いかけて9月からはカナダに飛ぶ。自ら努力する人間に、不可能なんてものはない。自分の力を信じて頑張ってきてね。

友達を送り出したあとは、自分の演出プランをまとめる為に、ぶらぶらしていた。
なんせ、毎日稽古だったので、じっくり考える時間もなかったのだ。
利根川を眺め、老婆の「呪縛」について考える。
なぜ小町の愛は成就しないのか。生きていることと、愛することは背反するものなのか。

そして、具体的な演出は何に焦点をあてたものにするのか。

夜。クナウカの若手演出家シリーズを観にいく。だいぶ前に宮城さんにこの件でメールを書いたら、「ちょうどうちの若手が卒塔婆をやることになってるよ」と教えてもらったので早速チケットをとっていた。なんてタイミングがいいんだろう。しかも、宮城さんの演出ではなく、その「弟子」にあたる人の演出ということで、私も構えずに観劇することができそうだ。

会場は小竹向原のサイスタジオ。
なんか、このへんって意外とちいさなハコが点在しているんだよね。一階部分がカフェになった素敵なスペースだ。

演出は、正直何に焦点をあてているのかは解らなかった。
ただ、役者はさすがに洗練された演技をしていたなあ。
老婆役が始めから美しすぎて、あまり「悲しみ」を感じなかった。詩人が裸足で登場するのも、意味があるのかどうか解らない。死人はどちらなんだろう?やはり、詩人=死人なのか。小町は深草を愛しているのか。最後にカップルたちが鼻歌のようにお経を口ずさんでいるのは、誰に対する読経なのか。

答えはみつからない。
どだい他人の演出から答えを見つけようとするのが間違いなのだ。

私は、ベニサン・ピットと、与えられた役者たちをうまく使える演出を考えねばならない。私のオリジナリティは、自ずと出てくるに違いないのだから、無理をすることはない。

さてさて、今夜もまた眠れないのかな。結局。。。
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by uronna | 2004-08-23 01:16 | 劇評、書評、映画評

ズンチャッチャ♪ワルツはまわる。まわる。まわる。

8月21日(土)
卒塔婆小町には、ワルツがでてくる。
老婆が自分の若い頃の話を始めると、公園は鹿鳴館の庭に転換し、当時とびきりの「俗悪な連中」がワルツを踊りながらやってくる、というシーンだ。

まさかほんとうにワルツを踊る演出にはしたくないなあ、と思っていたのだが、プロデューサーが「三時半から、ワルツの先生よんだから。全員集合で。」だって。
ははは。(汗

で、本当に三時半からワルツの稽古になった。
卒塔婆チームだけでなく、葵の上チーム、斑女チーム、停電の夜にチームも全員集合して皆で、ズンチャッチャ、ズンチャッチャ。

でも基本的に踊りは大好きなAshleycat, 一度ステップを踏みはじめるととまりません。ラテンは何度かやったことがあるけど、ワルツは初めて。
でも、すごく簡単だ。
慣れるとくるくる回り出す。なるほど、だから円舞曲なのね。

手本にさせられたりして、調子にのって踊っていたが、我に返ると私のチームの役者は皆ステップに四苦八苦している。
・・・演出家だけが踊れても意味ないだろう。苦笑いをして、輪から離れる。

みんなこてこてのストレートプレイ出身なので、ダンスは苦手みたい。
これはワルツの演出をいれたら、皆しんでしまうわー。

帰りがけに「停電」の演出家に、「ほんとにワルツ踊るの〜?」と聞かれたので「わからん」と答えておきました。さてどうするかな。。。
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by uronna | 2004-08-22 15:15 | 舞台のおはなし

俗悪なもの

卒塔婆小町、今日はシーン3を組み立てていく。
三島の台詞はロマンチシズムに彩られ、非常に印象的なものが多いのだが、卒塔婆には次のような台詞がでてくる。
詩人「よしてくれ。公園、ベンチ、恋人同士、街灯。こんな俗悪な材料が。」
老婆「今に俗悪でなくなるんだよ。むかし俗悪でなかったものはない。時がたてば、またかわってくる。」

役者たちに、自分の考える俗悪なものを考えて発表してもらった。いろいろな答えが出る。
合コン。
流行の服装。
ワールドカップの時のにわか日本サポーター。
シネコン。
職場の女の子の給湯室での会話。

思うに、俗悪なものとは何かに熱狂したり夢中になっているのを、ふと客観視したときに起きてくる感想なのではないか。
或いは、とても便利になってしまった日常にふと疑問を感じたとき。

みなさんにとっての俗悪とは何ですか。
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by uronna | 2004-08-20 23:20 | その他のおしゃべり

役者に助けられてます。

8月19日(木)

今日は卒塔婆小町の2シーン目をエチュードで組み立てていく。
朝から陽光は激しく照りつけ、森下界隈は熱風地獄。
駅を降りた瞬間に立ちくらみがして、小休止。寝不足がピークに達している。

私のグループには、14人の精鋭役者陣。
今回のワークショップは、男優がとても多く、普段と逆の状況。これはいつもなら喜ばしいことだけど、卒塔婆を割り振られている今は大変。
だって、主役偏重主義の三島の戯曲は、役が少ないのだ。

果たして、この優秀な役者陣を全員活かせる演出があるだろうか。

葵の上を上演するグループは早々に配役をして、あまってしまった役者陣を別プロダクションにまわしたみたいだ。

私はまだ未熟な演出家で、そんなにばっさりと人を切ることができない。
演出も指導もまだまだ、戸惑うことがあり、熟練した役者に助け舟を出されたりしている。
うちのグループで最年長の役者は42歳。
台詞の解釈も深いし、無駄な動きもない。経験を積んだ役者だけが持つ、独特のオーラをちゃんとまとっている。年少の役者たちに「年の功」をからかわれても、余裕で受け答える度量の深さ。貴重である。

今回もひとに恵まれた。
「全員が輝ける舞台を」などと「学芸会」のようなことを考えているわけではないが、私の持ち味は大人数を舞台に乗せる時にこそ発揮できると思っている。
一辺倒な演出にはしたくない。
役者の力を最大限に出せる舞台をと毎日頭を悩ませている。
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by uronna | 2004-08-19 22:57 | 舞台のおはなし

コマチプログラム、インストール中。

8月18日(水)

寝ても覚めてもコマチ一色の今日この頃である。

卒塔婆小町、読めば読む程、奥が深い。
三島戯曲は、パラドックスの宝庫である。これをどういう風に料理すればいいのか、目下私の頭の中はコマチ攻略プログラムが高速でランニング中ってところだ。
ただしスペックはあまり良くないので、しょっちゅうフリーズ(涙。

小町、から小町針つまりまち針をもちだして、「穴がない」→セックス不能。と連想して、舞台をダブルベッドにしたとてつもない知り合いの演出家がいるが、そこまで斬新?かつ物議をかもし出すものをつくるのは、私にはできそうにない。。。

あ、フラグメントがおきてる。
一旦強制終了しよ。

近代能楽集新潮文庫
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by uronna | 2004-08-18 21:33 | 舞台のおはなし

復活。


by kawasaki Alice
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