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慟哭

10月31日(日)

この小説、凄いです。。。

慟哭 (創元推理文庫)

久しぶりに、推理小説が読みたくなって、寝る前に少し読むつもりで手にとった。
本当はミステリ大好きなのだが、最近あまり読む時間をとれなかった。この本は書店でもよく平積みされていて、本屋さんのコメントなんかがついていたりして面白そうだと思っていたのだが、まさかこんなことになるとは。

だいたいこの類いの本は寝る前に読むようなものではないのだが、読みたくなるとなぜか放って置けなくなるものだ。そして本を片手にベッドに入ってから20分後、しまった〜と思いながら、寝不足で講義にでることを覚悟した。

とにかく文章がうまい。
心理面、背景、状況、どの描写をとっても巧緻で深みがある。さらに現代社会の抱える様々な問題を織りまぜて、連続幼女殺人事件の謎を描いていく。
そして、衝撃のラスト。
何い〜!と絶句したまましばらく呆然としてしまった。

「小説」というメディアでしかできないことをこれだけ鮮やかにやってくれると、嬉しくてしかたがなくなる。この小説の前にこの思いを味わわせてくれたのは、服部まゆみの「この闇と光」だったが、これを読んだのはもうかなり昔のことだ。
久しぶりに、これだけの筆力と本格的なミステリの構造を描ける小説家に会った気がする。案の定寝不足で終始頭が重かったが、この本の対価としてはお安いものだろう。(昼間に読めばいいんじゃっ)

この闇と光 (角川文庫)
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by uronna | 2004-10-31 02:19 | 劇評、書評、映画評

TARNATION

10月30日(土)
昨年、客員としてうちの学科にきていたDean Moss教授が、わざわざNYからメールをくれて、「この映画はすごいから絶対見るように!」と言ってきた。どれどれとチェックしたら、六本木ヒルズでやってる「東京国際映画祭」で、一回きりの上映。それも夜中の0時からである。もー、これだから、、、と思いながらも、真夜中の六本木ヒルズに出向いてきた。久しぶりだ、六本木で夜遊びw。

『サンダンス映画祭』で注目される、制作費218ドル32セントの長編映画

しかし、制作費218ドルってのはすごい。
ほぼドキュメンタリーで、身近な人しか出ていないから出演料の類いはゼロ。小さい頃から撮りためていたフィルムを使っているので、新たなロケツアーもいらない。ボーイフレンドの(監督のジョナサンはゲイである)i movie を使って編集したので機材もいらない。それでいて、仕上がりは十分にプロフェッショナルだ。
私はimovieもFinal cutも使っているが、、imovieでこんなにカッコイイ編集ができるのかと目を疑った。(つまり私の場合宝の持ち腐れ)
確かにタイトルのin-outなどは見なれたimovieのスタイルであったが、カッティングの細かさと凝り様は凄いものがある。

内容は、美しかった母親の精神を病んでいく様と、それをとりまく祖父、祖母そして自分の生活と成長の記録。途中で「ヘドウィグ」の影響を多分に感じる編集や音楽の使い方が目につくが、持ち込んだ先が「ヘドウィグ」の監督ジョン・キャメロン・ミッチェルだったというのだから、まあ当然といえば当然か。

最初はホームムービーのほんわかした雰囲気で、途中でドキリとさせられ、揺すぶられ、最後は切なさが残る。家族とは、親とは、子供とは?
ちなみにTarnationとは、「ののしり、いまいましいこと」だって。


確かにディーンが薦めるだけある作品だった。
ちなみに配給が決まっているそうなので、見逃した方もご心配なく。
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by uronna | 2004-10-30 17:22 | 劇評、書評、映画評

UWPコミュニティセレブレーション

10月29日(金)
a0015614_16145561.jpg
さて、私が海外に行っている間にUWPは日本国内を巡業し、無事東京に帰ってきた。
今日は日本での最後の滞在地多摩市での、コミュニティセレブレーションデーである。JAC役員でUWPサポート担当のK子さんが急に行けなくなり、その代わりということだが、もともと行こうと思っていたので問題ない。私の他にも4名の同窓生が4時に会場に集まり、設営やメンバーの夕食の準備などを手伝った。

VIPとして白根さんや、元マッキャンの川辺さんが来ていた。懐かしい顔ぶれだ。
写真はメンバーに「日本での滞在を実現してくれてありがとう」とアプリシエーションをうけている白根さん。

コミュニティセレブレーションのショーは、我孫子の時よりもずっと洗練されてきていた。映像や画像を使い、より効果的に日本での活動をサマライズしていた。
おなじみOne 2 Oneの時には皆で手話をやり、エンディングは私たちのショーから「the day the people come together」だった。フラッグの入場とともに感動が高まる。

a0015614_16155259.jpgショー終了後は、UWPに興味をもつ若者が沢山つめかけ、アドミッションの愛里は大忙し。Well Organizedな受け入れ委員会に支えられて、日本最後の滞在地は無事に終わりそうだ。メンバーは月曜日にベルギーに飛び、そのあとヨーロッパをまわる。

全体の印象として、参加者がとてもまじめで大人だと感じた。
やはり「学びたい」ひとが来ているのだ。空き時間は本を読んでいる人も。
今は空前の「学び」ブームだという。かくいう私もまあ、まだ学生なんかやっているんだからその潮流はよく知っている。UWPの転身は時宜にかなったものなのかもしれない。
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by uronna | 2004-10-29 15:54 | その他のおしゃべり

SSEAYP ブログ更新中

10月27日(水)

すこしずつですが更新してます。
インドネシアを出港するところまでアップできたので、どうぞ見てね♪

http://blog.livedoor.jp/ash_sseayp/
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by uronna | 2004-10-27 15:44 | その他のおしゃべり

サラ・ケインをやることに・・・

10月26日(火)

さてさて、秋も深まり、プロジェクトでは「アート・パス」の話が出てくる。
これは取手校地で行う芸祭みたいなもので、去年は「人形の家」モチーフにインスタやったなあ。今年は個人で作品を出すつもりはなかったんだけど、どうやらプロジェクト単位で参加が義務づけられたらしい。去年まではそんなことなかったじゃん。まったくもー、ころころ変るんだから。

で、我がプロ4では、ダンスとドラマリーディングをやることになった。
どうやらたっつんのプロ1に音楽を創ってもらってやるという企画らしい。ダンスはともかく、ドラマリーディングはこれから本もよみこんでいかなきゃいけない、結構大変だよこれ。

で、与えられた戯曲を見てサラに仰天、失礼更に仰天。
サラ・ケインではないか〜。しかも遺作の「4時48分サイコシス」。なんで人の心も暗くなる秋深まる取手でこんなメタクソに暗い戯曲をやらねばならんのだっ。あたしは嫌だ〜、、、、

と言っていても仕方がないので、読みはじめる。
実は以前こまばアゴラ劇場で、桃園会の知人がこれに出演していたのを観たことがあるし、原書も買って何度か読んでいるが、今回日本語訳をもらったのでまた読む。

でもやっぱり暗い、狂っている。

でも。

狂気の中で書いたと言われているが、文章は非常に明晰で、論理的であることに気付く。確実に、この作家はある意図をもってこれを書き上げている。自分の命と引き換えに。毎日すこしずつ進行していく狂気に抗いながら、自分が正常に戻ると信じている4時48分、暗い中で一人机に向かい、書く。

これは、多くの演出家や批評家の心を捉えるのもわかる。
こんなセンセーショナルな作品を、誰が放っておけるだろうか。
かくいう私ものしかかるような暗さに嫌悪を感じながら、この戯曲を面白いと思ってしまうのだから。

リーディングの本番は12月の11日、土曜です。
興味を持った人は是非、取手にお越し下さいませ。

サラケインについてもっと知りたい人はコチラ。
サラ・ケイン 公式ウェブサイト(英語)
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by uronna | 2004-10-26 15:23 | 舞台のおはなし

A COMMON BEAT

遅くなってしまいごめんなさい。ようやくコモビの劇評をアップできました。

10/24(SUN)

もとUWPのミュージカルだった「A COMMON BEAT」を、同窓生のチュソンが総合演出でPEACE BOATの企画にしてから3年?
昨年は見逃したが、今年こそは懐かしい歌と踊りを堪能しに、芝公園のメルパルクホールへ向かう。

ホールの周りは開場前から人の波で溢れかえっていた。並んでいる人の顔を見ると、なんとなく去年出演してたのかなあ、とかピースボートの参加者っぽいな、とか出演者の家族でしょ、という人ばかりである。これぞ、アップの頃からつづく「素人パワー」。この行列と熱気を目にすれば、客の入りに悩む商業演劇の制作担当者が臍を噛むだろう。

入口では「入国パスポート」が配られる、前回はなかった趣向だ。今まで英語だったこのミュージカルを日本語にして、他にも色々な工夫をしてあるとチュソンは言っていたけど、これもその一つかな。

コモンビートの魅力は、何と言ってもダンス。
私はアップのミュージカルの中では「Roads」が一番バランスがとれていて好きなのだが、コモビはダンスを愛する人には一番受けがいいようだ。明確なストーリーを持たず、概念的に大陸に澄む人々とそれを守る警備隊が存在するが、その各大陸(アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ)の文化を象徴する踊りが繰り返し踊られる中で、やがて大きなうねりを生み出し、争いが生じる。壊れてしまった世界の中で「A Common Beat」というタイトルの通り、共通のビートを人々は見つけていく、世界に平和と調和をもたらす共通の鼓動を。

華やかなダンスパフォーマンスはさることながら、このミュージカルにおいては出演者の笑顔が何よりの「平和の象徴」だ。歌が多少下手でもいいのだ。「一生懸命やっている」では学芸会になってしまうが、そうではなくて出演者がみんな信じているのがすごいのだ、踊り、歌うことで世界が少しでも「治癒」されるということを。この舞台を見た人が「生きる力を得る」だろうということを。

これが、私が舞台に究極的に求めている「意義」」と合致するからこそ、私は友人チュソンの試みを手放しで賞賛したいのだ。

歌の部分の日本語化が成功していないこと。ダンスの訓練に比べて歌唱の訓練が全く不足しているということ。それから、ticketingの方法など、細かく瑕疵を指摘すればいくらでもあるが、そのようなことは私が舞台関係者だからこそ出てくる指摘で、おおかたの観客にとって重要ではない。圧倒的なパワーに巻き込まれ、しばし現実を忘れさせてくれる、一瞬でも「世界が少しでも良くなる姿」を想像させてくれる、そんな舞台を見られたことに幸せを感じているほとんどの観客には。

そして、これだけ多くの若い人材が、この舞台にでてこれだけいい表情をしているというのは、これからの業界にとって喜ぶべきことであると私は思う。舞台は、敷居が高いもの何かではない。こういう舞台が増えれば、日本人ももっと気軽に普通に劇場に足を運べるようになる。
それにこの中から、本気で舞台に目覚める人間がでてきてもちっともおかしくない。それに、この人たちは多分従来の役者とは違う視点を持っている。濃くなり過ぎている業界の因習を打ち破る新しい力となってくるのではないか。

私にとっても、非常に意味のある観劇になった。
近いうちにチュソンと話をして、今後の展望を聞かせてもらうのも楽しみである。

NPOコモンビートのHPはコチラ
次回公演の出演者募集も出てるみたいですよ。Check it lah!
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by uronna | 2004-10-26 02:48 | 劇評、書評、映画評

「賢治幻想 電信柱の歌」弘前劇場

10月23日(土)
演劇制作演習を担当している、長谷川孝治氏にご招待いただいたので、同氏主催劇団弘前劇場の新作「賢治幻想 電信柱の歌」を観に池袋の芸術劇場へいってきた。いつもどおり、土曜日はマチソワ両方行う弘前劇場だが、私が観劇したのはマチネの方である。

小ホールに降りていくと、照明のN氏が所在なさげにしていたのでごあいさつ。長谷川氏も入口に立っていて、私の姿を見て招き入れて下さった。

いつもはこの長谷川氏の戯曲を上演する弘前劇場だが、今回はなんとあの別役実がヒロゲキに書き下ろした作品を長谷川氏が演出するということで、今までに観たことがない弘前劇場の芝居が観られるのではないかとかなり期待が膨らむ。

タイトルのとおり、宮沢賢治の世界観を多分に利用した作品であった。
「いはとぶ」「カネタ・イチロー」「おいでんなさい」「ポラーノ広場」つぎつぎに出てくる言葉は賢治ファンであればお馴染みの、幻想にみちた単語たち。別役作品にしては珍しく「不条理なもの」を見せられている気はしない。むしろ夢の中のようなふわふわした心もとなさがここちいい。これは演出家・長谷川孝治との出会いによって生まれた化学変化だろうか?

弘前劇場の役者たちも(個人的な知り合いも多いのであまり直接的なコメントは避けるが)、普段よりのびのびと楽しんで演じている気がする。こういうところで役者のフレキシビリティが発揮されるのを見るのは楽しいものだ。カネタ・イチロー役の佐藤誠さん、駅長役の福士さん、馬車別当の長谷川さん、おろしや役の工藤さん、村人役の濱野さん。これらの役者さんたちが、長谷川戯曲以外の作品でこれほど面白くなるなんて、意外だった。是非是非、もっと東京の芝居にも出て欲しいなんて(こんなこと書くと、長谷川先生に怒られるかもしれないのでちょっと控えめに)思っているw 

この公演はこのあと高知、伊丹、鳥取、北九州と巡業するらしい。
特に高知はわたしにとっては懐かしい県立美術館だと聞いている。ああ、うらやましいなあ。お近くの方は、是非お出かけになってみてはどうでしょう。
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by uronna | 2004-10-25 03:03 | 劇評、書評、映画評

楡の木陰の欲望

10月22日(金)

今日は、TPTからご招待いただいた「楡の木陰の欲望」を観劇。
会場は以前このブログでも紹介した北千住の「シアター1010」だ。

この戯曲はユージン・オニールが、19世紀半ばの米国北東部を舞台に描いた古典である。主演に寺島しのぶ。観劇前にこの芝居を観に行くと友人にいったところ、「何パーセントくらい脱いでたか後で教えてね。」といわれた。最近すっかりそんなイメージの定着しつつある寺島さんである。

ストーリーは、中嶋しゅう扮する老いた農場主のところに、3度目の妻としてやってきたアビーが、夫の前妻の息子であるエヴァン(パク・ソヒ)と愛し合い、夫の目を盗んで逢引を重ね子供を産むに至るが、若いエヴァンはアビーの愛情を信じきることができず、いさかいの末にアビーは自分の産んだ赤ん坊を殺してしまう、という、なんともドロドロの愛憎劇だ。

さて、劇場に足を踏み入れるとすぐに、朝倉摂女史による「これでもか」といわんばかりの舞台美術に遭遇する。あのシンプルで美しい劇場に2階建ての家が建っている。しかも、この造り、この家はきっと「まわる」に違いない。徹底的なリアリズムでこの戯曲を表現するつもりなのだ、とこの瞬間にちょっと嫌気がさしてしまった。

途中、休憩を挟んで約2時間半。それほど長い時間ではないのに、途中で何度も飽きる。
後ろに演出家のボブ・アッカーマン氏が座っていたので礼を失するわけにはいかず、なんとか持ちこたえる。なぜこんなにリアリティを追求した芝居がリアリティを失っているのか。
それは、ひとえに主演の寺島さんとソヒが愛し合っているように見えなかったからだろう。
愛の為に全てをなげうつ、その尋常でない精神状態を、技巧で演じようとしている寺島しのぶと、そのせいで未熟さが浮き彫りになってしまっているソヒ。
これは、ソヒがヘタだとかいう問題ではなく、寺島さんのプライドとアッカーマン氏のこだわりがぶつかりあい、ソヒがその犠牲になった結果ではないかと、勝手ながら推測する。

冒頭のシーン、山本亨さん扮する兄たちと絡んでいる時のソヒは、けっしてヘタには見えなかった。技量不足は周囲の役者がうまくつつみこみ、むしろ「ちょっと変わり者の弟」を印象付けて好演だった。それなのに、肝心のアビーとの愛憎のシーンになればなるほど、ソヒは相手に置いていかれ、独りぼっちにされ、台詞も観客に届かなくなってくる。一見、ソヒだけがヘタなように見えるが、そうではないだろう。アッカーマンが才能を見出し、懸命に育てようとしているこの若手俳優がそこまで大根でないことは皆知っている。これは、共演者ならぬ「競演」者の責任だ。

そしてこの壮大な「朝倉美術」も、この舞台を成功させることに一役かっているどころか、その美術だけをむなしく印象に残すという皮肉な結果になってしまっている。
今年の演劇賞の候補になるかと期待した作品だっただけに、残念である。
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by uronna | 2004-10-22 19:16 | 劇評、書評、映画評

RSVP ASAP

音環の同級生がブログ開設のお知らせをくれたので覗いてみた。
タニガミブログ
ドメインまでとってる。サーバー構築したらしい。やるねえ。
webアプリを創っていると思われる彼とは最近全く会っていないが、(G大の長い長い夏休みのせいでもあるし、普段から接点がないせいもある。)ブログを見ると相変わらず元気に創作に励んでいるみたいですね、よかった。
ブログってのは個人の表現ツールであることも確かだけど、友人の生存確認ツールとして威力を発揮しているのかもね。

(しかし接点がないとTBもしにくいなあ。。。SEの仕事から離れて3年半。しばらくコーディングなんてしていない。。。苦笑)
でもWebアプリと言えば、こないだ本屋で立ち読みしたこの本はけっこう役に立ちそうだった。↓
Mac OS X 稼げるWebアプリ開発技法 日経MAC Book
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by uronna | 2004-10-21 13:45 | その他のおしゃべり

「赤鬼」日本バージョン千秋楽

10月20日(水)

OBSC航海記、続々アップされております。
http://blog.livedoor.jp/ash_sseayp/チェキラー♪

さて、今日は野田秀樹の「赤鬼」日本バージョンの劇評を。
ロンドン、タイと見てきたので、どうしても日本を見逃せず、授業をさぼって行ってきた(コラ)。千秋楽、マチネ。会場には日比野さんを始め、色々な関係者の顔がみられた。

シンプルな舞台美術は、タイバージョンと共通している。やはり日比野美術はシンプルが基本なのかな。空豆形のそう大きくない舞台。一部が蓋になっていて取り外しがきき、それをゴムの浮きの上に乗せてボートのように使うのにはちょっと驚いた。役者が上にのって、安定を保つのは結構難しそうに見えたが、小西真奈美も、赤鬼役のヨハネス・フラッシュバーガーもコツをしっかり掴んで危なげない演技をしていた。

音楽はロンドンバージョンと同じものを使用していた。パーカッションをメインにもってきていたタイバージョンに比べると、日本とロンドンは受ける印象が近い。出演者は今までのなかで一番すくなく、主要人物の4人だけ。必然的に「村人」の役を赤鬼以外の3人が演じることになり、野田演劇特有のスピーディなテンポによってそれが違和感なく理解される。

ロンドン、タイと赤鬼を演じていた野田秀樹が、ここでは「ヒロインの頭の足りない兄貴」とんびの役。ロンドンバージョンでかなりよかった水銀(ミズカネ)は、今が旬と噂される大倉孝ニだ。映画「ピンポン」のアクマ役での名演は記憶に新しい。

アウトサイダーを疎外するコミュニティの悲劇を描いた「赤鬼」は野田秀樹のロンドンでの演劇修行体験から生まれてきた戯曲だといわれている。野田は、ロンドンで演劇活動を開始するにあたって、日本で築いてきた名声や評価をひとまず捨てて、裸同然の一人の演劇人としてその封建的な演劇界に入って行ったという。そして6年。今までのステイタスを利用することなく、その演劇界で認められるまでの存在になった。それは野田の機知と才能、実力を再立証するできごとであったに違いないが、その間に日本のファンは「野田はもうだめだ」等という出所の知れぬ噂に振り回されつつ、その再登場を待たねばならなかった。
その間、「鬼才」野田秀樹は、自身を「鬼」と捉えるような様々な経験をしたことだろう。肌の色や目の色、言葉といったものを取り払ったとしても、そこにあるのは「伝統」を守ろうとする閉鎖的な世界。その中に単身で乗り込んで行くものは、必ず排他感情に直面する。人間はまず自分を守ろうとするからだ。

赤鬼役の野田秀樹、とんび役の野田秀樹。
どちらも、天才野田秀樹によって演じられると他の役者がかすむ程だ。
ここでこの3つのバージョンの優劣を決めるのは、他の役者の演技、そしてコンセプトのなめらかさではないかと思うが、私はこの三つの作品を別々の作品としては捉えることができない。なぜなら、これをロンドン、タイ、日本の参加国の俳優を使い、それぞれの国で上演し、日本でまた上演する野田秀樹の思想をこそ、私はすばらしいと思うからである。これからどの国で上演されてもきっと面白いだろう、そう考えることが出来る戯曲を書いた野田秀樹の戯曲作家としての手腕をこそ、私は一番に評価したい。野田は私の中では尊敬すべき「戯曲作家」なのである。

ラストシーン、遠ざかっていく潮騒の中で野田が叫ぶ「絶望」ということばは、なぜか「希望」という響きを帯びている。I have a dream, that someday let freedom ring the bell from all villages, all towns, all cities...(そう聞こえたんだけど、間違っているかも)という赤鬼の叫びは、その意味が分かる、分からないに関わらず観客の胸に落ちる。海の向こうには、希望がある。島国であるにっぽんに生まれた我々がこの芝居を見る意味は十二分にある。
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by uronna | 2004-10-20 21:59 | 劇評、書評、映画評

復活。


by kawasaki Alice
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