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若き俳優の卵と、世界を論じる。


今回の春の芸術祭『メデイア』は、高校生をともなっての観劇でした。
一週間後に本番を控え、それでもがんばってやってきた高校生達の目に、『メデイア』はどううつったのか。感じたことを咀嚼してきちんと言葉にすることを、この年代からやっていれば、必ず大人になったときに役に立つ、というのが私の考えなので、今回は川崎に戻ってからの合宿でもいろいろと「言葉にする」訓練をしました。

そして、ひとりの生徒には、今回の舞台を通して『世界』を語ってみろ、と無理難題をw出したのです。
しっかりと応えてくれたことを嬉しく思い、ここに掲載します。

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『王女メデイアを通して世界について考察する』

  もしメデイアが結婚した相手がギリシャの男ではなくてメデイアの祖国の男性で、メデイアの周りにはたくさんの友人や家族がいたのだとしたら、メデイアは夫に裏切られた時実の息子を殺しただろうか。周りに頼れる存在や相談にのってもらえる存在がいたとして、それでメデイアのつらさは楽になっただろうか。周りにたくさんの友人や家族に囲まれていて、誰かに相談する環境も助けてもらう環境も整っていたとしても、メデイアは実際の作品と同じように王とその娘と自分の実の息子を殺してしまったのではないだろうかと考える。なぜならばメデイアは孤独だったからだ。環境的にではなく精神的に孤独だったから、実の息子をも殺すという行動に出てしまったのではないだろうか。孤独とはなんだろうか。人は必ずしも孤独なのだろうか。孤独な人間にとって世界とはなんなのだろうか。それについて考えてみたい。

  「孤独」という言葉を辞書でひくと「頼りになる人や心の通じあう人がなく、ひとりぼっちでさびしいこと(さま)」とある。つまり逆に考えると、頼りになる人や心の通じあう人がいれば孤独ではないということになる。本当にそうだろうか。たくさん友人がいてなんでも話せる存在がたくさんいれば孤独ではないといえるのだろうか。私はそういう人こそむしろ孤独だと感じるのではないかと思う。誰かに自分の考えを話した時に本当に理解してもらえていないと感じた経験はないだろうか。自分の考えや悩みを本当に理解してもらうことは難しい。なぜなら、実際に考えや悩みを抱いているのは自分であって、それは話を聞いてくれた他人ではないからだ。自分の中にあるものは結局のところ自分しか理解することができない。だからこそ、自分の心の中にあるものをたくさんの人に話すと、その分理解してもらえていないという違和感に悩まされることになる。

  人間は結局のところ孤独な生き物である。人は他人の考えていることを百パーセント理解することはできない。そして自分の考えていることを百パーセント理解してもらうこともできない。何事も最終的に判断するのは自分であり、実際に物事を考えたり悩んだりするのも自分である。自分であるということは変えられない。よく病気などでつらいときに「変わってあげられたらいいのに」というがつらさを変わってあげることはできないし、変わってもらうこともできない。どんなにつらいときでも嬉しい時でもそれを他人と百パーセント分かち合うことはできない。他人を理解しきれていない、理解されきれていない、そういうもどかしさに人は悩み続ける。

  「王女メデイア」においてもメデイアは孤独だった。それは一人異国の地にいて、夫に裏切られ、誰も助けてくれる人がいなかったからではない。自分のつらさは自分しか理解できず、同時にメデイアは自分のことしか見えていなかったからである。
  孤独な人間にとって、世界とは個々の集合体である。孤独な人間たちが集まって構成されているもの、それが世界である。それぞれの人間は交流し話し合い、お互いに重なることはあっても交わることはない。人は他人にはなれないのだ。孤独とは周りに頼れる人がいない環境のことではなく、誰にもわかってもらえない部分がある、誰しもが持っている要素なのである。
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by uronna | 2010-06-26 23:14 | 劇評、書評、映画評

ジャカルタの市場にて


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ユディたち、テアトル・ガラシと静岡で再会。
彼らと幸福なめぐり合いをさせてくれた運命に感謝したくなる。
(4年前、ザ・スズナリでの『ムネモシュネの贈り物』)

インドネシアの首都ジャカルタは、東京よりも人口の多い街。
喧騒と埃と嬌声の渦巻く、この異国の都市で、わたしもかつて何度迷子になったか(笑)。

あいかわらずの混沌ぶりに、かわっていないのね、とふと思ってしまう。ここでみているのは演劇なのに。

個人的な感銘で言うと、テオの身体がすごいことになっていた。ほんとうにすごいことになっていた。かつてもすごかったけれど、今はもう人間の身体じゃないよ、といいたくなるほどの。


静岡市に住んでいる雪山仲間のみっちゃんを誘ってぶらりと。ふだん芝居を見ない、という彼女も楽しそうにみていってくれた。(余談だけどこうやって、Snowboardersが劇場に足を運んでくれると、嬉しい。)
演劇初心者にもやさしいけど、アート性は失わないユディの作品を見ていると、私のめざしているものも間違いではないな、と思えるので嬉しい。これだけゆるくて、賑やかで、楽しくて、その中に批評性を確保するのは難しいことだ。

みっちゃん、グランシップは知ってたけど、芸術劇場の方は知らなかったとか。
県民のための劇場だからこれからはガンガン遊びに行ってね(笑)。


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ちなみに、一番自由だったブラジル人たち(エンリケ・ディアスのカンパニーの人々)。
『南十字☆路』ごしに彼らの自由さを見ているのもまた楽し…。
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by uronna | 2010-06-26 01:44 | 劇評、書評、映画評

「旅を終わらせるための遍路」

静岡春の芸術祭、絶賛開催中である。

今週末の演目はみっつ。
『頼むから静かに死んでくれ』@静岡芸術劇場
『王女メデイア』@野外劇場
『アルルカン 天狗に出会う』 @楕円堂

『メデイア』について私は語る言葉を持たないので、今回はいかにも語りがいのありそうなこれ『頼むから静かに死んでくれ』についてひとこと書いておくことにする。『アルルカン』はアルレッキーノーに勝手に縁を感じている私にとっては見逃せない作品であったこともつけくわえておく。


☆☆☆

「自分探しの旅」を終わらせる物語を見た。

 私たち1975年~1985年に生まれた世代にはいつの間にか『ロストジェネレーション』などという奇妙な名前のラベルがついた。日本がもっとも豊かな時代に生まれ、バブルで周囲の大人たちが浮かれ騒いでいるのを見ていた。父親たちは企業に一生を捧げ、女性達が学歴を高くしてさかんに男女同権を主張した時代。自分達もきっと大人になればそんな暮らしをするだろうと思いながら楽観的な学生時代を送ったあと、「空前の就職氷河期」によって社会から手堅く拒絶された、理想の華やかさと現実の冷たさのギャップがもっとも大きかった世代。その氷河を耐える装備がなされぬまま裸で放り出されて、彼らの夢想の逃げ場は海の向こうか、生まれ育った家の自分の部屋かのどちらかしかなかった。前者は帰着点のない旅をしながら「失われた理想の自分像=ほんとうの自分」を探しもとめ、後者はちょうどいいタイミングで発達してきたコンピュータネットワークを利用して仮想世界に自分の居場所を築いた。

 この『頼むから静かに死んでくれ』はつまりそういう世代の物語なのではないかと私は思った。真面目に働きさえすれば小金もたまりそれなりの人間になって一国一城の主として家庭に君臨できる、という生き方に疑問を覚えてこなかった父親に対して、息子は反論をする言葉を持たない。そこには絶対的な価値観の相違があり、そんな父親の訃報をセックスの最中に聞いた息子の耳に父の死を告げる言葉はどこか知らない国の言葉のように響く。父親の死体と対面しても、実感がわかないどころか、それは彼に話しかけてくる。彼自身の危機になると必ず登場するシュバリエは、呼ぶと出てくるが消えてほしいからといって消えてくれるわけではない。そして、自分が主演する人生映画をとっている謎の人々の存在は、この息子が普段から自意識が高く常に誰かと比べられている、消費されている感覚を持っていることを示しているだろう。或いは、こんな風にも見えはしまいか。彼は家に引きこもり、自分が主役の「物語」を紡ぎ出す。その中では常に彼は人の注目を浴びていて、いずれ自らが尊い出自であったということを知る、というような貴種流離譚を思い描く。その中で彼は、喋る死体の父親と、シュバリエと、自らの映画を抜け出すためのたった一つの方法を探しに出かける。

そこで舞台は大きく転換する。
舞台の中ほどを隔てていた大きな壁が役者の手によって倒され、それらはおぼろに発光する台となる。
黄泉の国が突然眼前に表出したような錯覚を覚えるが、それはどうやら「父親の故郷」のようだ。

徐々に腐臭を発していく死体を担いで父親の故郷にたどりついた青年は、そこで父親の埋葬を拒否される。打ち捨てられた人々との邂逅を経て、彼は死体を海に流し、彼の分身のような騎士と別れることを選択する。裸にされ、洗い清められた父親はもはや彼だけの父親ではなく、その世代の誰の父でもあるかのようだ「行き場のない名前の束を抱える女」は、死体に父親役をしてもらい、傷を癒す。青年は、「君は、僕だ」と彼女に言い、父親の死体の横で長い長いキスを交わす。

ラストシーン「獰猛な魚達に食われたくない」「スクリューに巻き込まれるのは嫌だ」と声を上げる死体に「名前の束」を錨代わりにくくりつけ、彼ら自身が波を模した大きな敷布をかけ、最初のシーンからずっと使われてきた「ペンキ」でその存在をオブジェ化し、高らかに笑うシーンには息を飲む迫力がある。無言で客席のほうを向き歩いてくる彼らが背負っている言葉がタイトルの「頼むから静かに死んでくれ」なのだろう。騎士に向けたものか、父親か、あるいは、自らが勝手に生み出した呪縛のような「ロストジェネレーション」の幻影にか。


☆☆☆

非常に面白い芝居であったが、いかんせん長い。
160分って、ヲイ。
転換後の放浪を多少削ればもう少しダレずにすむのではないかと思ったが、この冗長さが必要なのが「遍歴もの」とも言えるのだから仕方ないか。『ペール・ギュント』と比較すると現代社会に生きる人間達を悩ませる「自我」の問題が見えてきて面白いが、今回の作品の方があらゆる意味で破壊的でかつターゲットが狭いということは疑い得まい。万人受けはしないと思うが、つまりそういう世代にとっては「ど真ん中」の直球に心の臓を抉られるような衝撃を与える作品である。
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by uronna | 2010-06-19 23:50 | 劇評、書評、映画評

ポエムンシアター

きのうは川ファクで夜中まで飲み語り。
そんな寝不足の頭を抱えてふらふらしていると、静岡では言葉が怒涛のように渦巻いて襲い掛かってくるような作品が三つガン首そろえていた。昇天しろと?詩的言語の心地よい渦に飲み込まれて死ぬのは物書きならば本望といえるか。いや、地獄だろ。(笑)

『セキュリティ・オブ・ロンドン』@Boxシアター
『若き俳優への手紙』@芸術劇場
『彼方へ ~海の賛歌~』@楕円堂

このなかで『彼方へ』は、もう昨夜からずーっとTwitterをにぎわしてやまないキーワードとなっている。「クロードレジ、やばい」「衝撃」「とんでもないものを見た」とまぁ、普段は辛口の批評人たちも手放しの褒めよう。私なぞがここに書き留めるには言葉が圧倒的に足りないので、彼らにまじってつぶやいておこう。「クロード・レジ様のほっぺたがたこ焼きのようでかわいいです(萌)」。つまり彼の作品に立ち会えたことと、彼自身のアフタートークが聞けたことのふたつながらにホント貴重な体験だったということである。

で、何かを語るべきならば私はこれを選ぶ。『セキュリティ・オブ・ロンドン』。監視カメラの王国。
脚本兼主演のゼナ・エドワーズに深い魅力を感じ、寝不足でたまに集中力が切れながらも終始面白く拝見した。スタイルとしてはひとりで数人の役を演じ分けるタイプのひとり芝居なのだが、彼女自身がそのテキストを書いているところに、ミソがある。彼女は自ら詩をつむぎ、それを自分の身体に乗せることを生業としているアーティストなのである。残念ながら、声が嗄れていて本調子ではないことがうかがえたが、それでもその身体が変化するさまは彼女のテクスト自体よりも声よりも雄弁で、それを見ているだけでも楽しめた。多少『大道芸』的な要素も感じないことはないが、小技の多さは彼女の技術力を底上げすることはあっても、否定するものではない。あの驚異的なリズム感、グルーヴ、音感という彼女のパフォーマーとしての恵まれた資質と、生命力と「人種」という言葉そのものを体現する外見ですでにこの演目は8割完成している。

だが、そこで語られる『物語』については正直あまり心に響いてこなかった。
パレスチナ人の中年男性と若い女性の街角での出会い、写真を通しての他愛もない会話、それはシチュエーションそのもので既に成立していて、内容は置き換え可能なものであった。ほかの二人の人物についてはさらに「遠く響く」。書き手のゼナに詞を紡ぐ能力はあるにせよ、それはあいまいな問題意識のコラージュであるような気がしてならない。おそらく、演じ手としてのキャラクター造形の綿密さに比して、詩人としてのそれは演じ手(自己)の表現力に全てを委ねてしまってあるのだろう。

書いて、それを演じること。
「Theater」という機構のなかでは、間に演出という第三者を挟むことは必須であるが、やはりそこにこの作品の弱みがあるとしたら、あるのかもしれない。「売り」は裏を返せば弱点にもなり得るのだな。
才能に恵まれた彼女が別の作者が書いた作品を今後見てみたいと思うのは私だけだろうか。それでも、彼女のこの「パフォーマンス・ポエトリー」という形式は存続可能だと思う。
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by uronna | 2010-06-13 22:04 | 劇評、書評、映画評

ん?

なにこれ、RSSから広告が掲載されるようになったのか?excite。。。

広告が出ないことで選んだブログだったのに、、、

そろそろ引越し時なんだろうか…。
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by uronna | 2010-06-11 22:06 | その他のおしゃべり

ドラゴンテイル2


下北沢「楽園」にて。

M山さんの作・演出・主演の芝居を見た。
10回目の記念公演ってことで、M城さんがチラシに寄せていた文章に噴いたので、
観にいくことにしたのである。(ほんとうは、いままで一度も見ていなかったので
いつかいかなければと思っていた、もともと。)

作・演出・主演ということは、、
この主人公は彼が一番演じたい役柄だと思っていいのだろうか。
なにを思いながら、この話を書いていたのか、聞いてみたい気がする。


岡本太郎に会いたくて、久々に井の頭線を使った。
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<明日の神話>
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by uronna | 2010-06-11 20:56 | 劇評、書評、映画評

『4.48』

静岡舞台芸術公園 BOXシアターにて

Boxシアターって面白い空間だなあ、と改めて思う。
色々な使い方が出来るしなんといっても奥行きがある(物理的な意味じゃなくて)。
演劇にでも、ダンスにでも、きっと音楽にでも。なんでもござれな懐の深さ。
しかしその闇の深さにはいつも飲まれる。

さてさて、スン・シャンチー振り付けの『4.48』は、そのタイトルからもわかるひとにはわかるようにあのサラ・ケインの遺作『4:48 サイコシス』をもとにしているわけだ。初めてあれを読んだときには、私も演劇よりも小説、小説よりもダンス向けだとおもった作品だったし、事実ダンスをとりいれている演出を幾度か見たことがあるのだけれども、本格的に『ダンス作品』として仕上げているのを見るのは初めてで、そのことに興味ひかれてこれだけを観に静岡へ。日曜なので行きはヨイヨイだが、帰りは恐ろしい大渋滞にはまる。我ながらモノズキである。いいのだ。べつになんと呼ばれようと。

幕あけすぐに『女優』が喋り始めた。とうとうと迸る言葉。そうだとも、『言葉』なくしてはサラ・ケインたりえない。いくらダンス作品とは言っても。
言っちゃえば演劇とダンスの境目ってとくにないのかもしれない。
演出家が作れば演劇で、振付家がつくればダンス、というくらいのものなのだろう。
(大きな違いだと思うかどうかは人次第だ。)

それにしてもすごいのはスン・シャンチーの肉体。
女優の足元でうずくまっていたときには冴えない東洋人(失礼)にしか見えなかったのに。彼の長い手が空を切り裂くたびにそこから血が流れるようだ。サラの言葉に匹敵していたのは彼の肉体だけだった。

結局、好き嫌いで言えばこの作品も全体としてあまり好きにはなれなかったのだけれども、
(それはたぶん、サラの戯曲『4:48サイコシス』に対して抱く気持ちとあまりかわらない)
終始一貫した強靭さがあって楽しめた。
アフタートークで読まれたアンケートのように『救われた』という人がいるのは意外。
あれをどのように観たら、今まで自分が棲んでいた世界が美しかったのだ、と過去形で思えるのだろう。
それはよほどこの世を憎む理由をもった人間にのみ与えられる恩寵みたいなものなのだろうか。

まだまだ修行が足りんですな。。。
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by uronna | 2010-06-06 22:56 | 劇評、書評、映画評

『Night in June』

かつて一緒に芝居を作っていたG大同級生、浅野葉子が出演するダンス作品『Night in June』を観に久々のSTスポットへ。久々すぎて、ビルの入り口で迷ってしまった(笑)。

今はひょっとしたら私にとって一番近くて使いやすい小劇場スペースじゃなかろか。
今年はじっくり川崎~横浜で舞台を作りたい気もする。
横浜はやはり懐かしいし、「地方都市」だからかな、自分のペースを守って創作活動ができるような気がする。

ま、今回のはそんなユル~イ横浜にふさわしい作品だったかどうかはよくわからんが。
あの小さいスペースであの配置で、あの振り付けはどうなんだろうなぁ。
つぎはもっと大きなところで(BANKARTかな?)やるみたいだから、それにつながる作品としてはいいのかもしれないけれど、私はいまひとつ作品の世界に入れなかった。

要素が多すぎるのか。
なわとび、石をつむ少女、勉強机、食卓などなどのイメージが散逸していて、
それが真っ白のスペースの中で集約されずにとんでいく。
ダンス作品はただでさえ、観客の想像力を全開にさせるものなんだから、
それらが有機的につながっていないと、頭が疲れてしまいます。
結局『受け流し』てしまった。もったいない…。

神々しいほど美しいシーンもいくつかあったのだけれど。


…ダンスは好きだが、好きなだけに辛口になっちゃうなあ。。。
私もコラージュをよく使うから、気をつけないと、と思う。
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by uronna | 2010-06-04 22:36 | 劇評、書評、映画評

復活。


by kawasaki Alice
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