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ペール・ギュント


静岡芸術劇場にて。

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私はだいたい、先輩諸氏の演出作品を見るときに、書き下ろし作品でない場合は先に戯曲を読んで、自分の演出プランをたててから観るようにしている。

いつからそういうことを始めたのかはよくわからないが、日常的なトレーニングの一貫みたいなものだ。


今回は「ペール・ギュント」ということで、発表されてすぐそういえば読んでなかったなあと思いながら図書館に向かい分厚い「イプセン全集」を借りてきたのだけれども。

レーゼ・ドラマという言葉を知った頃にいくつか読んだ、活字から読者の想像力を経て立ち上がる舞台とはまた違う迫力がこの作品にはあるような気がする。旅をしている頃、ノルウェイの友人たちが、自嘲と誇りを込めて語ったノルウェイの気質みたいなものが、そこには満載だった。つまり、日本人がこの作品に取り組むのであれば、物語の中に自分達に通じるになんらかの必要性を見出さなければ無意味とまでは言わずとも、空洞の多いものになりそうな危惧を感じるのだ。

私ならばどうするか?そのプランをここでくどくどしく紹介することは本意ではないのでやめておく。

宮城さんの舞台は、前掲の問題を「日本人のアイデンティティ」の問題に準える、意欲的な試みでそのボリューミイな3時間のおかげで私は当面、この作品に対する食指が動かないだろうということも明確になった。(演出家の皆さん、見た作品が物足りなかった場合、自分がもっと面白くしてやるぞって思ってしまうこと、ありません?)

すごろくを模した舞台セットは、相変わらず圧巻。
綺麗だし、想像力をかきたてられるし、こういうところから観客を「連れ去る」工夫を怠らないのは、立派なことだと思う。誰にでも出来ることではないけれど、SPACにはやってほしいと思うことである。

すごろくなのだから、最後は「ふりだしにもどる」のだろうなぁ、、、
と最初から結末が見えてしまうのも、まぁこの場合は多少のネタバレごときでは揺るがない本編の構成の強さにものいわせ、無問題。

指揮者がパーカッションを指揮しているのがなんとも宮城節。
舞台を取り囲むオケピに所狭しとならべられた原始楽器の数々に、メロディラインを載せるのは俳優の身体と台詞なのだ。果たしてそれは、グリーグの名曲の数々を瞬間風速的にでも越えたのか?
こたえは観客それぞれの胸のうちに。


今回は卒業公演の終わった高校生を伴っての観劇だった。
一番人気は、女生徒たちの圧倒的支持を得て、ペールの母親オーセだった。

しばらくうちの演劇部で男子の背中に乗って「ペぇぇぇールぅぅぅ!!!!」と叫ぶという、オーセごっこが流行っていたらしい。。。w



吉植さん、ラーメンご馳走様でした^^
先輩諸氏にも終演後お会いできて嬉しかったです。
by uronna | 2010-03-20 23:21 | 舞台のおはなし

復活。


by kawasaki Alice