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楡の木陰の欲望

10月22日(金)

今日は、TPTからご招待いただいた「楡の木陰の欲望」を観劇。
会場は以前このブログでも紹介した北千住の「シアター1010」だ。

この戯曲はユージン・オニールが、19世紀半ばの米国北東部を舞台に描いた古典である。主演に寺島しのぶ。観劇前にこの芝居を観に行くと友人にいったところ、「何パーセントくらい脱いでたか後で教えてね。」といわれた。最近すっかりそんなイメージの定着しつつある寺島さんである。

ストーリーは、中嶋しゅう扮する老いた農場主のところに、3度目の妻としてやってきたアビーが、夫の前妻の息子であるエヴァン(パク・ソヒ)と愛し合い、夫の目を盗んで逢引を重ね子供を産むに至るが、若いエヴァンはアビーの愛情を信じきることができず、いさかいの末にアビーは自分の産んだ赤ん坊を殺してしまう、という、なんともドロドロの愛憎劇だ。

さて、劇場に足を踏み入れるとすぐに、朝倉摂女史による「これでもか」といわんばかりの舞台美術に遭遇する。あのシンプルで美しい劇場に2階建ての家が建っている。しかも、この造り、この家はきっと「まわる」に違いない。徹底的なリアリズムでこの戯曲を表現するつもりなのだ、とこの瞬間にちょっと嫌気がさしてしまった。

途中、休憩を挟んで約2時間半。それほど長い時間ではないのに、途中で何度も飽きる。
後ろに演出家のボブ・アッカーマン氏が座っていたので礼を失するわけにはいかず、なんとか持ちこたえる。なぜこんなにリアリティを追求した芝居がリアリティを失っているのか。
それは、ひとえに主演の寺島さんとソヒが愛し合っているように見えなかったからだろう。
愛の為に全てをなげうつ、その尋常でない精神状態を、技巧で演じようとしている寺島しのぶと、そのせいで未熟さが浮き彫りになってしまっているソヒ。
これは、ソヒがヘタだとかいう問題ではなく、寺島さんのプライドとアッカーマン氏のこだわりがぶつかりあい、ソヒがその犠牲になった結果ではないかと、勝手ながら推測する。

冒頭のシーン、山本亨さん扮する兄たちと絡んでいる時のソヒは、けっしてヘタには見えなかった。技量不足は周囲の役者がうまくつつみこみ、むしろ「ちょっと変わり者の弟」を印象付けて好演だった。それなのに、肝心のアビーとの愛憎のシーンになればなるほど、ソヒは相手に置いていかれ、独りぼっちにされ、台詞も観客に届かなくなってくる。一見、ソヒだけがヘタなように見えるが、そうではないだろう。アッカーマンが才能を見出し、懸命に育てようとしているこの若手俳優がそこまで大根でないことは皆知っている。これは、共演者ならぬ「競演」者の責任だ。

そしてこの壮大な「朝倉美術」も、この舞台を成功させることに一役かっているどころか、その美術だけをむなしく印象に残すという皮肉な結果になってしまっている。
今年の演劇賞の候補になるかと期待した作品だっただけに、残念である。
by uronna | 2004-10-22 19:16 | 劇評、書評、映画評

復活。


by kawasaki Alice