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性格俳優同士のナガゼリの応酬が見もの 「デモクラシー」

2月24日(木)
青山劇場にて、加賀丈史と市村正親の「デモクラシー」を見る。

加賀さんは実は少女なりし頃かなりファンで(しぶい趣味の少女もいたもんだ)、今回はあの市村さんとの共演ということで、珍しく自分でかなり前からチケットを手配していた。

このふたりのタッグというと、ほとんどの人はミュージカルを期待するようだが、私は今回こてこてのストレートプレイ、と聞いてチケットを買うことを決めた。ていうのは、やっぱりジャン・バルジャンとエンジニアの共演じゃないものが見たいわけですよ。どんな風に、長台詞を聞かせてくれるかにとても興味があったのです、あれ、私も変わったなあ…(苦笑)

このハナシ、実話を基にした戯曲。作者マイケル・フレインはイギリスの人。演出のボール・ミラーもイギリスの人。物語のもとになっているのは、60年代から70年代にかけて、ドイツの政治界のみならず、東西冷戦まっただなかの世界情勢に大きな波紋を投げかけた「ギョーム事件」。これは西ドイツ首相のブラントの秘書官であるギュンター・ギョームが、実は東ドイツの諜報機関が送り込んだスパイだった、という事件である。ブラントは腹心としてギョームを起用していたので、NATOの重要機密事項がすべて東ドイツ、すなわちソ連側に筒抜けであったという事実はなによりもアメリカに打撃を与えた。

で、舞台は終始政治家たちのやりとりでハナシが進む。
首相執務室の面々、党の面々の中には密かにブラントを落としいれようとする動きもある。そして東ドイツからの間諜。さまざまな人間の思惑が、個人の思惑を超えて「国家の思惑」として動き出す時、男たちの関係は友情やライバル意識を自由に育むことのできる環境には置かれない。それぞれの地位、使命、それに彼らが抱いている崇高な理想。個人的な信頼と裏切り、という構図ではけっして語れない、スケールの大きな人間模様がこの戯曲には描かれている。

舞台はシンプルなつくり。
舞台奥に会議机。中央との仕切りのように、たまに東西に分断された当時のドイツの地図が降りてくる。これがパーティション1。そして中央の舞台の前面を左右にスライドする半透明の仕切り、これがパーティション2。下手手前に首相の机。間諜としてギョームに指示を与えるクレッチマン(今井朋彦)はほとんど中央のつくり舞台に乗らず、上手の地板で舞台の上で起きていることを「観察」している。パーティションに関しては、仕切るタイミングが微妙に効果的でなかったりと、1も2もいらないんじゃないの?と思ってしまうことが多かった。

加賀さん市村さん以外の役者さんも、すごい人がそろっていたのだが、結局はこの二人だけが目立ってしまっているのが、演出上の、あるいはキャスティングの失敗なのではないだろうか。これがグラントとギョームの心の葛藤を描いただけの人間ドラマだったら、これは二人芝居でことたりるのである。この戯曲を面白く演出するには、周囲の8人の人間関係と対立関係、さらには性格までを明確に提示して、それぞれの行動や台詞に観客が笑ったり怒ったりできるような工夫が必要なのだと思う。チャーミングな首相、それはよし。愛嬌とギャグセンスのあるスパイも魅力的だった。だが面白い!といえるところにまで行っていなかったのは、たぶんそういうことなんじゃないかと思う。難しい難しいっていうけど、戯曲としては難しくないんだと思う。これ。政治用語が飛び交っているから「なじみがない」んであって、理解に難しい作品というわけではまったくない。10人も、背広をきた男たちがでてくるんだから、それぞれのキャラクターをしっかり粒立たせて、観る方の意識をぐっと捕まえて欲しかった。(平日の昼間だからほんと観客は女性ばっかりだったんだしね。私の近くの席のおばさまたちは、ほとんど船をこいでいました。)

平日マチネ特典?か、終った後に加賀&市村トークショウが開催される。
観客から質問を前もってアンケートに書いて提出してもらっておいて、そのなかからアナウンサーの選んだ質問を二人に答えてもらう、という趣向。20分の休憩を挟んだにも関わらず、ほとんどの人が帰らずに聴いていました。それほど印象に残るトピックはなかったけれど、市村さんが加賀さんのファンだということはよくわかりました。自分が好きな役者さんと共演するって、嬉しいよね。やっぱり今日はファン感謝デーだったのか(謎)、と思いながら劇場を後に次の用事に急いだのであった。
by uronna | 2005-02-25 03:56 | 劇評、書評、映画評

復活。


by kawasaki Alice