Blue in the Face

a0015614_42035.jpg6月16日(水)
芸術批評演習の課題で映画評を書いた、のを書き直した。
結構面白い映画だったのでここに載せます。ちょい長め。

ブルックリンの煙草屋で煙にまかれる。

 ブルー・イン・ザ・フェイスは、ブルックリンに住み、ブルックリンを愛する登場人物たちによって綴られる下町情緒コラージュともいうべき作品だ。
90以上の人種が寄り集まり、貧乏を託ちながら日常を送る雑多な町、ブルックリン。そこは、多くの観光客を集め世界へ未来へと扉を開くニューヨークの中にありながら、下町気質を金科玉条に生きる人々が昔を懐かしみながら暮らす吹きだまりの町だ。米国全土をを席巻するかのような嫌煙文化もどこ吹く風、人々は今日もそれぞれに必要なものを求めてブルックリンの片隅にあるオーギーの煙草屋にやってくる。

ブルックリン出身のロック歌手ルー・リードがとぼけた顔で町を語り、かつてこの町にあった野球チームの思い出話をする。伝説のヒーロー、ジャッキー・ロビンソンの活躍した当時や、球場が解体された時の映像が随所に挟まれ、ある種ドキュメンタリーのような様相を呈するシーンもある。観進めていくうちにこれらが、周到に用意された「ドキュメンタリーもどき」であることは判明するのだが、その時には既に我々は作り手の術中に落ちている。即ち、身体に悪いとわかっていながら煙草に手を伸ばしてしまう愛煙家のように、この映画をここでお仕舞にすることができなくなっている。文字どおり、「顔が真っ青」になるまで喋りまくる登場人物たちの話を最後まで聴こうとしてしまう。

ではこの映画の持つアディクティブな要素とは何なのか。
マイケル・J・フォックス扮するアンケート会社の社員が、タバコ屋の常連のイタリア系黒人に「トイレで自分のしたものを眺めるか?」「何ドルで自分のウンコを食べるか?」などと意味のない質問を浴びせかけるシーンがある。これはマイケルの即興とギャグセンスで成り立っているシーンで、改めてマイケルの役者としての魅力を見た気がした。マドンナ扮する電報配達嬢が歌う電報を届けるシーンがある。これもやはりマドンナ本人の振り付けによる遊び心満載の(というより遊び心しかない)シーンで、その意表をついた登場に見ている方はまず呆気にとられ、次には笑うしかない。主役を張れる役者を隠し球のように使い、観客を翻弄する、作り手がいかに伊達と酔狂でこの映画を作っているのかということを見せられる度に、こちらも妙に肩の力が抜けてくる。この極上のリラックス感は煙草と同じだ。まさに癖になる!

ストーリーはあることにはあるのだが、それは煙草の横に書いてある注意書きと同じで便宜上存在しているのだと考えられたい。展開を追うよりも全体にちりばめられたアイロニックなギャグやブルックリンという町のエッセンスを楽しみながら「斜め観」するのがこの映画の正しい見方だと私は理解した。未来をのぞく眼鏡も、時計売りのラップも、新案特許のビニール取り器も、あってもおかしくないのだ。オーギーの煙草屋にたちこめる煙の中にはきっと存在しているのだろう。その煙にまかれるためだけにブルックリンに行くのも悪くない。
珍しく一本も煙草を吸わずに見終ったビデオを巻き戻しながら、そう思った。
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by uronna | 2004-06-18 04:09 | 劇評、書評、映画評