リハ中@台北メトロポリタンホール

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「伝統と未来」のリハ中です。

この作品は、作曲家原田敬子さん(ク・ナウカでもトリスタンとイゾルデの曲を担当してくださっていた方です)が曲を書き、加藤訓子さん他、名うての演奏家達と、それから我らが美加理さんと、インド&台湾のコンテンポラリーダンサーが共演する、なんだか夢みたいなお祭り企画です!

舞台には木が生え、
木、木、木が生え…。

木は台北の山奥に美術家さんたちが切り出しに行ったらしい!(吃驚)

演出ノートは以下のとおり。
(アジア舞台芸術祭 オフィシャルブックレットより抜粋)

伝統とはなんだろう。
 アジアのアーティストが「伝統」という言葉を使うとき、多くは「近代化の中で欧米から輸入されたものではない、もともと自国に存在したもの」という語意で用いているだろう。
 日本においても、伝統文化という言い方は、「1868年の明治維新以後に欧米から輸入されたものではなく、それ以前からあったもの」を指している。
 しかし、この区分けに本質的な意味はあるのだろうか?
 日本に限らずいずれの地域の文化も「従来あったものと外来のもの」が混交して成立しているわけだが、それはなにも近代以降に限ったことではない。交通手段が未発達であった時代にも、文化芸術は驚くほどの伝播を成し遂げている。調査が進めば進むほど、世界中で、古代の文化のダイナミックな交流が明かされてゆく。
 どの時代の、どの地域の文化も、つねに「それまでに内部に蓄積されていたものと新しく外部から入ってきたもの」の出会いと相対化と化学反応と、そのなかでの創作者の葛藤によって生み出されてきたのだ。ついつい「伝統」とことばでくくってしまう文化も、歴史上それが生み出された瞬間というのが必ずあるわけで、その瞬間にはやはり疑いなく「従来のものと新来のもの」のぶつかりあいがあったことだろう。
 アジアのアーティストはこれまで、「伝統と現代」を踏まえてみずからの創作のポジションを定めるとき、「自国の文化と欧米からの輸入文化」という2項目を設定しがちであったことは否めない。それは近代の世界政治・世界経済がアーティストに強いてきた枠組みであり、無視することは出来なかっただろう。しかしいまやアジアのアーティストは、歴史を長い目で捉え、「アジアの中で」いかにダイナミックな文化芸術の出会いと交流がおこなわれお互いの文化芸術を洗練させてきたかを見直すべき場所に立っているのではないか? それは「この思想この芸術は我が国にオリジンがある」と主張することではなく、それが自国で生まれたときにも、外来のものとの出会いがその背後にあったことへと想像力を延伸させる営みである。

 こうした営みのささやかな一歩として、このたびの「伝統と未来」プロジェクトを構想した。
 古代、大和朝廷の楽人舞人は、土着の音楽・舞踊と、インド・中国・朝鮮あるいは南の島々を通って入ってきた音楽・舞踊との、刺激的なせめぎあいのなかで、楽を奏で、舞を舞ったことだろう。
 「伝統」というクリシェを解体し、未来に向かう作品を生み出したいと願っている。

———— プロデューサー 宮城 聰



さあ、本番が楽しみです!



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by uronna | 2006-11-30 14:04 | 舞台のおはなし